Vol.1068-1/3 R巻頭-180。琴電踏切フォトSKETCH-14<畑田~陶> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

新居宮池は今

4年振りの池干しが始まった宮池。(2010年~2025年の間では2016と2021年に行われた)

11月上旬に池底に降りてスケッチする予定です。

 

 

 

Akijii-blog頭言Repeat-180  Orignal掲載日:Vol.374(2016.01.15)

沈黙…。

 

ベンジャミン・フランクリンが自分のために立てた十三の徳の第二番目に置いたのは「沈黙」であった。彼はこの事について次のように言っている。


私は徳を進めると同時に、知識をも得たいと望んでいたが、知識は人と談話する場合でも、舌の力よりはむしろ耳の力によって得られると考えたので、下(くだ)らない仲間に好かれるようになるに過ぎない無駄口や地口や冗談などに耽る習慣を直したいと願った。そこで沈黙の徳を第二においたのである。


賢者は黙して語らずというくらいで、黙って微笑を浮かべながら注意深く人の話を聞いている人の中にこそ、思慮の深い人はいるものだ。昔からおしゃべりは軽蔑されてきた。
自分が本当に考えて知ったことでなしに、テレビや新聞や週刊誌で知ったばかりの知識をぺらぺらしゃべりまくるような連中は、今も数限りもなくいるが、これは時流とともに漂っている泡のような者たちで、時が去れば消えてしまい、また別の泡となっている。こんな連中を本気で信じることはできない。
本当に信頼できる人間は、じっくりと考えぬいて自分にできることしか引き受けない。

口数は少ないが、そういう人間は信じて大丈夫だ。

昔から人が多弁な者を軽んじ、沈黙のできる人を重んじたのは、そのためである。

長年の経験によって信頼できる人間はどういう者かを、人は知ったのだ。

 

 

<高くがる空間>

ウォーキングコースから見る南方向の上空の180度のパノラマ景。

白山神社(三木町下高岡)の参道口から見る白山の上空。

トレスタ白山(三木町下高岡)レジャープールの上空。

トレスタ白山テニスコ-トの上空。

 

 

A seasonal flower 

◇ウォーキングコース脇の畑で頑張り続けている千日紅

 

◇Mt氏の畑で実の形を現したバナナの現況

 

 

◇我家の庭でアサギマタラ(蝶)の飛来を待つ藤袴(フジバカマ)-1

 

 

 

◇一足先にアサギマダラが飛来した善通寺市碑殿町(ひどのちょう)の「吉原アサギマダラの里

(Googie Mapsより引用)

 

 

 

◇我家の庭でアサギマタラ(蝶)の飛来を待つ藤袴(フジバカマ)-2

 

 

 

<akijii展- (626) 

今報からは、スクラッチアート(花と動物たちのファンタジー十二支編<上巻>7点)を掲載します。

今報は№1:子(し/ねずみ)

所要時間は600M(10.0H)でした。

 

引き続き、Vol.1068-2/3をご覧ください。