新居宮池は今
西側の遊歩道を南に歩き見る宮池の4景。
水上展望台のズーム景。
新居東児童館のズーム景。
パーゴラのズーム景。
Akijii-blog巻頭言Repeat-173 Orignal掲載日:Vol.346 (2015.08.25)
お誂え向きの…。
困難を避けて通りたい気持ちは誰にもあるが、「苦しい、辛い」と感じるのは、自分が多少なり成長をし、前進している証しである。何も感じないのは、自分が慣れた楽な道を歩んでいるだけで、そこには何の成長も学びもない。
一般的にトレーニングは、鍛えたい部分により多くの負荷をかける。
腕を鍛えたいなら、腕の筋肉をちょっときつい位に動かし、足を鍛えたいなら、くたびれる位に足を動かす。
つまり、辛い思いをした部分は、辛い思いをした分だけ、強くなるということである。
困難もこれと同様で、自分に足りない何かを補うために起きていて、全ての辛い出来事は、自分の弱い部分を鍛えるための「お誂え向きの試練」だと考える。コミュニケーションが苦手な人が、人づきあいに悩んでいるとしたら、「もっと上手に人間関係を築けるようになるため、今、弱い部分に負荷が掛かっている」と考えてみる。
仕事が未熟だという人が、経験した事もないトラブルに見舞われたら、「足りないものを補う、もっと仕事が出来るようになるための試練が訪れている」と考えるのだ。
そのような考え方をすると、目の前の苦痛から逃げたりしなくなり、困難に見舞われても何もせず、いたずらに不安と寂しさを膨らませる事も無くなり、逆に自分の持てる限りの力を動かして、真摯に立ち向かう勇気が湧いてくる。
そうすれば、きっと成長ができる。生きている中で、自分の力ではどうにも出来ない事が起き、「強くなるための試練だなんて思えない」と感じる事もあるし、絶望に押し潰されそうにもなるが、それでも最終的には「この出来事によって、自分は何かを学ぶ階段を一段上がるために、この出来事に出会った」と、悩んだ末にこの思いに辿り着けば、別のドアが開くようになる。
人生は、階段を一段一段昇るようなもので、困難を一つ克服すれば、また別の困難がやってくる。永遠に消えることもないし、その繰り返しが成長しながら生きるということである。
絶対の真理に「苦しい事や辛い事は、逃げれば逃げるほどついてくる」という事があることを申し添えて置く。
<高く広がる空間>
城山中腹のウォーキングコースの上空。
ことでん水田駅(東山崎町)の上空。
高松自動車道高架橋と琴電長尾線高架橋の上空(東山崎町)。
長淵橋(前田西町)から見る吉田川と奥の高松自動車道高架橋の上空。
A seasonal flower
◇城山中腹のウォーキングコースの両脇に咲くヤマハギ
◇城山中腹のウォーキングコースの両脇に咲くクズの花
◇ウォーキングコース脇の畑のムラサキシキブ
◇ウォーキングコース脇のyd宅に咲くフヨウ
◇ウォーキングコース脇のMt宅の畑で咲くリコリス
◇ウォーキングコース脇の空地のショウジョウソウ
<akijii展-(619)>
今報は、スクラッチアート(美しいイングリッシュガーデンの世界-10点)-№8
№8:<お行儀のよいルピナス>を掲載します。
所要時間は260M(4.3H)でした。
引き続き、Vol.1061-2/2をご覧ください。