Vol.1061-1/2 R巻頭-173。琴電踏切フォトSKETCH-07<太田~仏生山> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

新居宮池は今

西側の遊歩道を南に歩き見る宮池の4景。

水上展望台のズーム景。

新居東児童館のズーム景。

パーゴラのズーム景。

 

 

Akijii-blog頭言Repeat-173   Orignal掲載日:Vol.346 (2015.08.25)

お誂え向きの…。

 

困難を避けて通りたい気持ちは誰にもあるが、「苦しい、辛い」と感じるのは、自分が多少なり成長をし、前進している証しである。何も感じないのは、自分が慣れた楽な道を歩んでいるだけで、そこには何の成長も学びもない。
一般的にトレーニングは、鍛えたい部分により多くの負荷をかける。

腕を鍛えたいなら、腕の筋肉をちょっときつい位に動かし、足を鍛えたいなら、くたびれる位に足を動かす。

つまり、辛い思いをした部分は、辛い思いをした分だけ、強くなるということである。
困難もこれと同様で、自分に足りない何かを補うために起きていて、全ての辛い出来事は、自分の弱い部分を鍛えるための「お誂え向きの試練」だと考える。コミュニケーションが苦手な人が、人づきあいに悩んでいるとしたら、「もっと上手に人間関係を築けるようになるため、今、弱い部分に負荷が掛かっている」と考えてみる。

仕事が未熟だという人が、経験した事もないトラブルに見舞われたら、「足りないものを補う、もっと仕事が出来るようになるための試練が訪れている」と考えるのだ。

そのような考え方をすると、目の前の苦痛から逃げたりしなくなり、困難に見舞われても何もせず、いたずらに不安と寂しさを膨らませる事も無くなり、逆に自分の持てる限りの力を動かして、真摯に立ち向かう勇気が湧いてくる。

そうすれば、きっと成長ができる。生きている中で、自分の力ではどうにも出来ない事が起き、「強くなるための試練だなんて思えない」と感じる事もあるし、絶望に押し潰されそうにもなるが、それでも最終的には「この出来事によって、自分は何かを学ぶ階段を一段上がるために、この出来事に出会った」と、悩んだ末にこの思いに辿り着けば、別のドアが開くようになる。
人生は、階段を一段一段昇るようなもので、困難を一つ克服すれば、また別の困難がやってくる。永遠に消えることもないし、その繰り返しが成長しながら生きるということである。
絶対の真理に「苦しい事や辛い事は、逃げれば逃げるほどついてくる」という事があることを申し添えて置く。

 

 

 <高く広がる空間> 

城山中腹のウォーキングコースの上空。

ことでん水田駅(東山崎町)の上空。

高松自動車道高架橋と琴電長尾線高架橋の上空(東山崎町)。

長淵橋(前田西町)から見る吉田川と奥の高松自動車道高架橋の上空。

 

 

A seasonal flower 

◇城山中腹のウォーキングコースの両脇に咲くヤマハギ

 

◇城山中腹のウォーキングコースの両脇に咲くクズの花

 

◇ウォーキングコース脇の畑のムラサキシキブ

 

◇ウォーキングコース脇のyd宅に咲くフヨウ

 

◇ウォーキングコース脇のMt宅の畑で咲くリコリス

◇ウォーキングコース脇の空地のショウジョウソウ

 

 

 

<akijii展- (619) 

今報は、スクラッチアート(美しいイングリッシュガーデンの世界-10点)-№8

№8:お行儀のよいルピナスを掲載します。

所要時間は260M(4.3H)でした。

 

引き続き、Vol.1061-2/2をご覧ください。