Vol.1055-1/2 R巻頭-167。琴電踏切フォトSKETCH-01<高松築港~片原町> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

新居宮池は今

宮池4景-1(北端から南方向)。

宮池4景-2(東中央から南方向)。

宮池4景-3(東南端から来た西方向)。

宮池4景-4(南西端から来た東方向)。

宮池に射し込む陽光。

 

 

Akijii-blog巻頭言Repeat-167 Orignal掲載日:Vol.332 (2015.06.15)

人材育成のリーダーの使命。

 

人間が物事を学んだり吸収したりするのは、外から聞いたときではなく、外に対して発したときだという。

つまり、インプットではなくアウトプットするときに、人間は吸収するとのことだ。そう考えれば、人材育成において指導者が果たすべき役割は、「いかにその人にアウトプットさせる環境をつくり出せるか」であるといえる。
選手に対して指導者が「何度言ったらわかるんだ!」と叱っているその言葉は論理的に正しくなく、人材を育成するうえでは、指導者が何度言ったかが問題ではなく、「相手に何度言わせたか」が重要で、本来は「何度きみに言わせたのだ!」と叱るべきなのだ。

かつてサッカーのフランス代表を率いて欧州選手権などを制したロジェ・ルメール監督が語った「学ぶことをやめたら、教えることをやめなければならない」という言葉は、まさに指導者のあるべき姿を示している。
人間には、鏡のように他者を真似る「ミラーニューロン」という本能がプログラミングされているという。

つまり、教える側であるリーダーの学んでいる姿を積極的に見せることが、学ぶ側にとって最も影響がある。

なぜなら、組織では誰もがまずリーダーの姿を見るからである。
一方通行で教えるのではなく、選手自ら発信する環境を整え、なおかつ指導者自身が誰よりも成長する見本を示すことが、人材育成におけるリーダーの使命であるといえる。


 

 <高く広がる空間> 

ウォーキングコースから見るだんご山3兄弟・堂山・火ノ山・十瓶山・鷲ノ山の上空。

房前公園(牟礼町原)の石のオブジェの上空。

房前公園芝生広場の上空。

房前公園展望台の上空。

房前公園展望台から見る志度湾と対岸のさぬき市の上空。

 

 

A seasonal flower 

◇町並巡りで出会ったタイタンピカスタカサゴユリ

◇ウォーキングコース脇の畑に咲くヘチマ

 

◇高松城跡の入口に咲くマツバギク

 

 

<akijii展-(613)

今報は、スクラッチアート(美しいイングリッシュガーデンの世界-10点)-№2

№2:月明かりに浮かぶスイレン>を掲載します。

所要時間は625M(10.4H)でした。

 

引き続き、Vol.1055-2/2をご覧ください。