Vol.963-3/4 R巻頭-75。歴史(観て歩き)レポ-西讃編:08<豊稔池堰堤> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

Vol.963-2/4に続けてご覧ください。

 

さぬき歴史(き)フォトレポ-西讃:08<豊稔池堰堤>

<12.豊稔池堰堤 <撮影:2014.09.15 and 2018.05.12>

阿讃山脈を分け入る柞田川上流に「豊稔池堰堤(ほうねんいけえんてい)」があります。長い年月の風雨にさらされた堰堤は、まるで中世ヨーロッパの古城を思わせる偉容と風格があり、水を湛えた水面と周囲の山並みとの調和で四季折々に見事な景観を見せてくれます。

堤長145.5m、堤高30.4mのコンクリート造溜池堰堤で、両端部を重力式、中央部が5個のアーチと6個の扶壁(バットレス)からなるマルチプルアーチ式で、その先駆的かつ希少な構造形式は農業土木史上価値が高く、また、昭和前期における堰堤建設の技術的達成度を示しており、平成18年12月19日に重要文化財(建造物)に指定されました。大正15年に起工、昭和4年11月の竣工後、80年近く経過した今でも約500haの農地の水がめとして活躍しています。建設に際してはすべて地元農家の出役で工事が行われ、約3年8カ月の間、無事故で完成したといわれています。

また、当初、池の名称は「田野々池」でありましたが、昭和4年5月に三土忠造大蔵大臣が現地視察をした際に「豊稔池」と命名されました。平成6年に大規模な改修工事や周辺整備が終了。

一年を通じて多くの観光客がここを訪れています。特に、夏(不定期)に行われる「ゆる抜き(放流)」の風景は季節の風物詩として知られています。   (観音寺市HP) 

                               

<所在地・外観>

豊稔池堰堤-観音寺市大野原町田野々

▼豊稔池堰堤-中世ヨーロッパの古城を思わせる石積式アーチダム

 

 

JR観音寺駅から県道8号線を南東方向へ約7km進み、井関池に架かる井関橋を渡ると五郷地区に入る。

 

▼井関池

 

▼県道8号線、井関橋-1

 

▼井関橋-2

 

 

<概 要><歴史遺産> 

更に1kmほど進み、観音寺市教育センターを過ぎて約400m、二差路を右に入り県道9号線を2kmほど上る。柞田川の上流の谷間を堰き止めて造った「豊稔池の堰堤」がその威容を見せる。

 

▼観音寺市教育センター、前方の南東方向に雲辺寺山が望める

 

▼柞田川、豊稔池へ2kmの標識板

 

▼豊稔池堰堤、豊稔池堰堤と遊水公園

 

▼豊稔池と県道9号線を見る

 

▼満水の豊稔池、豊稔池と堰堤のズーム

 

▼豊稔池ダムが見える、奥に豊稔池碑と豊稔池守護神

 

▼豊稔池ダムの堤体、豊稔池ダムから見る堰堤と遊水公園

 

▼豊稔池ダムの堤体と豊稔池、豊稔池ダムから見る豊稔池

 

 

県道9号線から左へ坂を下りると豊稔池遊水公園が整備され、堰堤を真下から見上げる事が出来る。

 

▼豊稔池遊水公園へ降りて行く、豊稔池堰堤が姿を見せた

 

▼豊稔池遊水公園入の入口、各種案内・説明板

 

▼豊稔池堰堤説明板、豊稔池の概要説明板

 

▼豊稔池遊水公園の石標、豊稔池堰堤-1

 

▼豊稔池堰堤-2

 

▼豊稔池堰堤-3

 

▼豊稔池改修記念碑、旧土砂吐樋門・旧中樋取水口

 

▼火薬庫跡、東屋と堰堤

 

 

初夏に行われるユル抜き風景は、西讃の風物詩として知られ、多くの見物人で賑わいをみせる。

 

▼豊稔池ユル抜き風景(web引用-水彩画風変換)

 

 

豊稔池堰堤から更に西方向に約1.8Km進むと、谷間の田野々集落に着く。

 

引き続き、Vol.963-4/4をご覧ください。