Vol.934-1/2に続けてご覧ください。
さぬき歴史(観て歩き)フォトレポ-中讃編:21<塩屋別院~中津万象園>
<29.塩屋別院~中津万象園> <撮影:2016.06.14 and 2017.08.21>
塩屋(しおや)別院(塩屋御坊)は、浄土真宗本願寺派です。浄土真宗本願寺派と言えば、親鸞を宗祖としており、信者600万人以上と仏教系宗教法人の中でも最大規模を誇っていることで知られています。ここ塩屋別院は、「四州教区教務所」としての役割、つまり本願寺派の四国本部のような役割を担っているお寺です。
中津(なかつ)万象園は、面積5haの池泉回遊式大名庭園は、貞享5年(1688年)に丸亀藩主である京極高豊の命により、丸亀城の城下町に近い中津の浜に面して造られた。庭園名は森羅万象に由来するとされる。
京極氏の故郷である近江国の琵琶湖をかたどった八景池が掘られ、帆、雁、雪、雨、鐘、晴嵐、月、夕映と近江八景になぞらえ名付けられた島々が浮かび、橋で巡る事ができる。それとは別に朱塗りの邀月橋も池をまたいで掛かり、園内に彩りを添えている。池に面しては、潮の満ち引きが見られたという観潮楼、その近くには母屋が茶庭に面して建ち、樹齢六百年と言われ傘に似た形を持つ大傘松が広がる。
これらの門として、くぐると長生きすると言われる松寿関が設けられている。 (Wikipediaより)
<所在地・外観>
▼塩屋別院・中津万象園とその周辺-位置図
塩屋別院-丸亀市塩屋4-6-1町、中津万象園-丸亀市中津町25-1
▼塩屋別院-四国本部のような役割、中津万象園-江戸の風雅を伝える大名庭園
JR讃岐塩屋駅から予讃線沿いに東へ約300m進んで左折すると、突き当りが「塩屋別院」(浄土真宗)である。
<概 要><歴史遺産>
▼讃岐塩屋駅を東へ向けスタート、予讃線沿いに300m進み左折
▼線路の高架を潜る、突き当りが本願寺塩屋別院
▼本願寺塩屋別院-外塀、大門
▼本願寺塩屋別院-大門の右扉と彫刻、大門の左扉と彫刻
生駒氏の3代正俊(まさとし)は、1615(元和元)年、塩田開発のため播州赤穂(現、兵庫県赤穂市)から製塩を営む28人を呼び寄せ、光明庵(現、浄土真宗正宗寺)北西の海辺に移住させた。これに伴い檀那寺(だんなでら)の教法寺も移転して来たが、一帯の外浜に塩田が拡張されて行く中で村人と寺との対立が起り、村人は西本願寺へ訴え出たため、1734(享保19)年に教法寺は廃され、本願寺塩屋別院となった。
境内には広壮な本堂を始め、表書院・奥書院・庫裏・経蔵が立ち、1904(明治37)年、善通寺第三野戦病院本部丸亀俘虜(ふりょ)収容所として、日露戦争で捕虜となったロシア兵(320人)を収容し、1914(大正3)年には第一次世界大戦におけるドイツ兵捕虜(約330人)を収容している。
▼本願寺塩屋別院-本堂
▼本願寺塩屋別院-鐘堂、親鸞上人の立像
▼本願寺塩屋別院-西門、境内
▼本願寺塩屋別院-本堂の前から大門方向を見る、院外から院内を見る
JR讃岐塩屋駅へ戻り、駅の西側の道を南下して、天満町2丁目交差点を右折し、幸橋(金倉川)を渡り右折してJR予讃線を潜り北へ辿ると、県道21号線(さぬき浜街道)に接して「中津万象園」がある。
▼西側の道を進む、天満町2丁目交差点を右折
▼西進、幸橋を渡る
▼中津万象園へ右折、中津万象園へ向かう
▼JR予讃線線路を潜る
▼中津万象園が見えてきた、中津万象園へ入園
京極高豊(たかとよ)が金倉川河口右岸の海浜に別荘「中津の御茶屋」を造営したのに始まり、中津別館・金倉別館とも呼ばれ、歴代藩主がここを訪れ、茶会や歌会などを催した。
豊富な金倉川の伏流水を水源とし、瀬戸内海や讃岐富士を借景(しゃっけい)とする池泉回遊(ちせんかいゆう)式の大名庭園で、京極氏先祖の地である近江八景になぞらえて八島を配する。
▼中津万象園-入園パンフ、説明板
▼中津万象園-庭園、海望亭とうちわの里
▼中津万象園-水蓮橋1
▼中津万象園-水蓮橋2
▼中津万象園-水蓮橋から見る邀月橋(ようげづばし)
▼中津万象園-松寿関
▼中津万象園-魚楽亭と観月橋、筆海亭
1981(昭和56)年、庭園の全面的な改修がなり、草庵風のお茶所や母屋、樹齢600年の見事な大笠松などに往時を偲ぶことができる。
▼中津万象園-中津御茶所:煎茶席、母屋
▼中津万象園-千代の笠松1
▼中津万象園-千代の笠松2
眺めてよし、歩いてよし、ここには江戸の風雅がある。
園内東寄りの丸亀美術館では、19世紀フランス・バルビゾン派の名画を収集・展示し、日本の庭園美と泰西(たいせい)(西洋諸国)の名画という粋な取り合わせが興趣をそそる。
▼中津万象園-絵画館、陶器館
<文は現地説明板やWebなどより引用した>
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