Vol.813-2/3 雑学16。かがわ探訪Akijii77撰-04<1.古町:04>(長尾) | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

Vol.813-1/3に続けてご覧ください。

 

かがわ探訪Akijii77撰シリーズ-04<1.古町:04)>(長尾)

長尾寺の門前町を訪ねました。

四国霊場87番札所の長尾寺、一説には延暦年間に空海が創建したとも伝えられている。

そんな寺院を中心に発展した門前町である。
一方、高松藩五街道の一つ長尾街道沿いの集落でもあり、江戸の初期に長尾村が長尾西・長尾東・長尾名に分離独立したが、長尾西は長尾寺への多くの参拝者がいたのにも関わらず、馬継所は出来なかったようだ。

今は旧街道沿いに、わずかに虫籠窓のある蔵造りが残る程度である。

 

<歩行ルート総距離2.0Km(スタート駅~帰宅駅)(立ち寄り部分不含)総歩数 2,850

 

▼近郊航空写真、歩行ルート図

 

▼(元)造り酒屋、長尾西の某旧家

 

 

<探訪地点までのメモ>

▼JR端岡駅を出発、JR高松駅で下車し琴電長尾線に乗り換え

 

▼ことでん高松築港駅へ進む

 

▼ことでん高松築港駅に着いた、「長尾行」に乗車

 

▼ことでん長尾駅で下車、ことでん長尾駅前広場の「歴史と自然の散歩道」案内板

 

▼長尾寺門前の町並み探訪起点へ向かう(約0.8km)、長尾西を東へ進み交点を左折

 

▼交点の右(南)方向、長尾西を北に進む(次の交点を右折)

 

▼右折して路地を東方向へ進む、次のT交点を右折

 

▼次のT交点を左折、長尾西を東に進む-1

 

▼長尾西を東に進む-2(次のT交点を左折)、左折して直ぐに右折

 

▼路地を東方向へ進む

 

▼長尾西を東方向に進む-1

 

▼長尾西を東方向に進む-2

 

▼左に中寺コミュニティー広場、筒井川を渡る

 

▼筒井川の右(南-上流)方向、左(北-下流)方向

 

▼長尾西を東方向に進む-3、正面奥にマルナカ長尾店と県道3号線が見えて来た

 

▼マルナカ長尾店、県道3号線T交点を右折

 

▼県道3号線T交点、県道3号線T交点の左(北)方向

 

▼県道3号線を南に進む-1

 

▼県道3号線を南に進む-2、次の交差点を右折

 

探訪メモ・ルポ

長尾寺は四国霊場八十七番札所。その山門の前を東西に延びる旧長尾街道は往時、門前町として栄えた。

明治時代には宿屋が十数軒もあり宿場町としても賑わったという。

「昭和二十年頃まで、この通りに多くの人々が集まった。映画館やサーカスなどがあり、人出で溢れていた。

だが、時の流れと共にその賑わいも消えていった」。長尾町の地域史研究家は、当時の繁栄を振り返る。

戦後、日本は物質的豊かさを追い求めた。高度経済成長という大きな変革の波は日常生活を大きく変えた。

斬新なデザインの住宅が建ち、自動車の普及に伴う交通網の発達は、沿線の風景を一変させた。

門前町も例外ではない。郊外型の大規模店の進出などで、通りの活気は分散。

商家は住宅に変わり、木造から耐久性のある鉄筋建てが主流となった。町並みから温もりと情緒が薄れた。

しかし、注意深く散策すると古い建物が所々に残っている。

中でも存在をアピールするのが、江戸末期に建てられ、終戦直後まで営業していた「造り酒屋」。

本瓦(かわら)ぶきに鮮やかな黒壁、虫籠窓(むしこまど)・連子窓(れんじまど)の外観がまるでタイムスリップしたかのように江戸の薫りを今も漂わせている。

 

▼長尾寺門前の町並み(約0.9km)探訪起点に着いた、長尾寺門前の町並み-1

 

▼長尾寺門前の町並み-2

 

▼長尾寺門前の町並み-3

 

▼長尾寺門前の町並み-4、西善寺-1

 

▼西善寺-2

 

▼西善寺-3

 

▼長尾寺門前の町並み-5

 

▼長尾寺門前の町並み-6、筒井川を渡る

 

▼筒井川の右(北)方向、左(南東)方向

 

▼長尾寺門前の町並み-7

 

造り酒屋-1(江戸末期に建てられ終戦直後で営業)、造り酒屋-2(本瓦ぶきに鮮やかな黒壁)

 

▼造り酒屋-3(連子窓と虫籠窓)、造り酒屋-4

 

▼造り酒屋-5

 

 

引き続き、Vol.813-3/3をご覧ください。