Vol.623-2/4 会釈遠慮。<郵便局のある町を訪ね歩く-27:柞田・中洲・茂木・観音寺> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

Vol.623-1/4に続けてご覧ください。

 

郵便局のある町を訪ね歩くシリーズ:27<柞田・中洲・茂木・観音寺郵便局

 

今回訪れるのは観音寺市柞田町の郵便番号768-0040観音寺町は768-0060茂木町768-0069である。

 

<訪ね歩く町>

観音寺市柞田町・観音寺町・茂木町

 

<歩行ルートと郵便局ルート総歩数 158,00

▼歩行ルート図、延命寺

 

▼日枝神社、観音寺柞田郵便局

 

▼柞田町-善生寺、観音寺中洲郵便局

 

▼一心寺、盛福禅寺

 

▼観音寺茂木郵便局、観音寺郵便局

 

 

<歩行メモ>

JR端岡駅を出発、車窓:瀬戸内海の多島美-1

 

▼車窓:瀬戸内海の多島美-2

 

JR観音寺駅で下車、JR観音寺駅の改札を出て乗り合いバス停へ向かう

 

▼観音寺市乗り合いバス観音寺駅前バス停、内循環線に乗車

 

▼バス停「山王」で降車、延命寺へ立ち寄る

 

▼延命寺へ進む

 

▼左は延命寺の外塀、延命寺の山門へ進む

 

▼延命寺の山門に着いた、延命寺-1

四国三十三霊場第27番で、山号は真如山、宗派は真言宗大覚寺派である。

奈良時代の僧、行基菩薩により開創。以前、大野原町花稲の北銭窪に在って花稲7ケ寺院の1寺であった。鎌倉時代中期、現在地に移り、比叡山より日枝神社と山王権現をお祀りして一院を建立し別当を置く。京都嵯峨御所より長日料二季大般若料を賜り寺運隆昌する。南北朝時代、戦火の厄に罹り寺運衰頽、昔の観を失う。応永年間、再興する。安土時代再び兵火に被り堂宇を失うも、桃山時代末期の僧、良栄、天保年間の僧、増暉など代々の住職、復旧に努める。嘉永7年、京都嵯峨御所より天下泰平、5穀豊饒の祈願所として、御宝前に御紋付提灯、翠簾を賜り、栄枯盛衰をくりかえし現在に至る。(四国三十三霊場会HP)

 

▼延命寺-2

 

▼延命寺-3

 

▼延命寺-4

 

▼延命寺-5

 

▼延命寺-6

 

▼延命寺-7

 

▼延命寺-8

 

▼隣接する日枝神社に寄る、日枝神社に着いた

 

▼柞田駅跡、柞田駅跡の説明板

 

▼日枝神社-1

 

▼日枝神社-2

 

▼日枝神社-3

 

▼日枝神社-4

▼日枝神社-5

 

▼日枝神社の御旅所へ寄る(0.4km)、フードレック沿いに南に進む

 

▼日枝神社の御旅所が見えてきた、日枝神社の御旅所の遠景

 

▼日枝神社の御旅所、日枝神社の鳥居を振り返る

 

 

引き続き、Vol.623-3/4をご覧ください。