Vol.530-2/4 心の中の垣根<観音33霊場・式内24社-31(最終):<18>高屋神社> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

Vol.530-1/4に続けてご覧ください。

 

讃岐三十三観音霊場 & 讃岐国延喜式内二十四社を探ねるシリーズ

今報で讃岐国延喜式内二十四社の最終です。

 

き№31-式内社第18:高屋神社

◇高屋神社---観音寺市高屋町  ◇小社。

 

《往路交通機関》JR端岡駅→観音寺駅/観音寺市のりあいバス「観音寺駅」→「どんぐり」

《復路交通機関》タクシー「高室小」→「観音寺駅」/JR観音寺駅→端岡駅

探ね歩き距離と歩数》4.5km7,700

 

高屋神社-里宮、本宮

 

高屋神社の位置図、歩行ルート図

 

 

JR・バス移動>

JR端岡駅を出発、JR観音寺駅で下車

 

▼観音寺市のりあいバス乗り場へ、のりあいバスの乗り場

 

▼観音寺市のりあいバスに乗車、バスの車窓:財田川に架かる三架橋を通過

 

▼バスの車窓:右奥に目指す稲積山(いなづみやま)、おしゃべりはうす「どんぐり」の前で下車

 

 

<歩きメモ>

▼高屋神社「里宮」へ向かう、高屋神社の社号標と案内板

 

▼高屋神社の社号標、高屋神社の案内板と四国のみちの案内板(標高:14m)

高屋神社の案内板に記述している「本宮まで下宮から40分は…」はかなりの健脚者が対象だろう。

▼「里宮」へ坂を上る-1、右に稲積山・七宝山(しっぽうざん)

 

▼「里宮」へ坂を上る-2、左眼下に県道21号線とその先に江甫草山(つくもやま)

 

▼右折し迂回、右側に忠魂碑

 

▼正面に稲積山・七宝山、迂回して一の鳥居の場所に

 

▼高屋神社「里宮」の一の鳥居をくくる、「里宮」の参道を進む-1

▼「里宮」の参道を進む-2

 

▼「里宮」の参道を進む-3、「里宮」の参道階段を進む

▼淡嶋宮(あわしまぐう)へ寄る、淡嶋宮

 

 

高屋神社

創祀は不明。稲積山に鎮座しており、稲積神社とも呼ばれる神社。稲積山は、「稲を積み重ねた形」らしい。当初は、山頂に鎮座していたが、慶長年中に中腹へ、宝永年中に麓の丘に遷座したが、天保年中に再び山頂へ戻し、山頂を上宮、中腹の社を中宮、麓の社を里宮(遥拝所)の三社構成となった。

 

祭神は邇々杵命・保食神・咲夜比女命で延喜式の神名帳(平安時代)に「讃岐国刈田郡高屋神社」とあり、延喜式内社讃岐二十四社の一社である。この社は当初稲積山頂にあったのを1600年頃に、山の中腹に移し、さらに1760年頃に山嶺に移したが、里人はその祟りをおそれ、一八三一年に山頂の旧地に再び本殿を造営した。山の名を取り稲積社とも呼んでいる。

大祭は四月第二土・日曜日に行われている。(神社案内板より)

 

『延喜式神名帳』にある「高屋神社(讃岐国・苅田郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社。参拝すれば、御朱印を頂ける。標高407mの稲積山の南麓に里宮としての遥拝所があり、中腹に中宮、山頂に上宮がある。稲の神さんとして古くから親しまれ、上宮からは観音寺市が一望でき、眼下に2kmにわたる有明浜の海岸線が伸びている。上宮までは、270段の急な幅広い石段が続く。

 

里宮(下宮したのみや)

ここは高屋神社の下宮(遙拝所)である。境内地は広く、桜の木がたくさん植えられていた。

比較的最近整備をしたようで、石段、玉垣、社殿が新しい。この神社は、加麻良神社の宮司がお祀りしているようで、外に丸山神社皇太子神社若宮神社、今原神社も同じようにお祀りしている。

この神社の御朱印は、加麻良神社で頂くことができる。

 

▼二の鳥居をくくる(標高:66m)、香川県の説明板

 

▼拝殿、拝殿の扁額

 

▼拝殿と本宮遥拝所の鳥居、本宮遥拝所

 

▼社務所、稲積本館

 

▼神輿蔵、境内

 

▼境内社など石仏群、ズームで見る室本港

 

▼ズームで見る江甫草山、「中宮」へ向かう

 

 

<歩きメモ>

▼軽自動車は通行可の案内板(標高:81m)、「中宮」へ参道を進む-1

里宮から中腹にある中宮までは、コンクリートで舗装された参道だが、かなり急な登り坂なので馬力のある小型車でないと辛いかもしれない。

▼「中宮」へ参道を進む-2、高屋神社しめ石神輿置場

 

 

引き続き、Vol.530-3/4をご覧ください。