Vol.516-1/4 喧騒の後に静寂。<観音霊場・式内社-17:㉛聖通寺㉙聖徳寺㉚圓通寺> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

新居宮池の動静

改めて新居宮池の紹介-案内看板、小上がりした所から南東の方向。

 

改めて新居宮池の紹介-遊歩道から南東の方向、遊歩道から西南の方向。

 

改めて新居宮池の紹介-遊歩道から北西の方向。

 
 

沁みる言葉

喧騒の後に静寂 

 

中国・宋時代の唐庚(とうこう)の、漢詩「酔眠」の一句に、山静似太古(山静かにして太古に似たり)の表出があるが、実際に懐深い山に入れば、森閑とした風情で、太古(おおむかし)は、このようであっただろう。

 

ところで、人が群れたら、どうしても喧騒と饒舌が支配する。

私たちは、賑やかなものや華やかなものに注目するし、景気のよい言葉を連発されると、どうしてもそれに引かれてしまう。言い争いをしても、黙った方が負けみたいなところがある。

世の中は今、こうした喧騒と饒舌がある種のピークを迎えているのかも知れない。

兎に角、人は歩く時も音楽を聴き、そしてよく喋る。

それが悪いとは言い切れないが、饒舌の前に沈黙が、喧騒の後に静寂があるかどうか、そこが問題となる

 

沈思黙考とはいかないまでも、私たちは、そうした静かなる時空の中に、ふと自己の行く末を思い、あるいは他人のことを思いやる。

私たちは、他人のお粗末に実に敏感だが、その意味では、笑い笑われの人生といえる

それでも、あまりにも空しい。

山のごとく静まり返って、熟成していくものがあるのではないだろうか。

 

 

Walking & Potteringの風景

京極大橋と丸亀港(丸亀市福島町)、太助灯籠と丸亀藩・瀬山登の銅像(丸亀市西平山町)

 

「従是金毘羅町口江百五十丁」-街道起点石、中府の一の鳥居(丸亀市中府町)

 

田村(正面寺)の自然石灯籠、是より鳥居まで百丁、東 高松(丸亀市三条町)

 

神野神社-門前、祈願の橋と随神門(丸亀市三条町)

 

皇子神社-松並木の参道、鳥居と狛犬(丸亀市郡家町)

 

宝憧寺池と辻池との中堤防、左は宝憧寺池、右奥が辻池・手前が仁池(丸亀市郡家町)

 
 

Flower arrangement

 
 

頭上に広がる空間、空(そら)

 

 
 

A seasonal flower 

ウォキングコスにヒマラヤ

早春のまだ寒さが残る時期に、やさしいピンクの花を咲かせる。革質で厚みのある楕円形の大きな葉を地面に張りつくように広げ、太い根茎が横に伸びて樹木のような形になり、年数を経るごとに風格も増す。原産地は東アジア~中央アジア、花色は濃ピンク~淡ピンク・白である。

 

 

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花の種類は「宿根イベリス」「フェリシア」「ネメシアメロー」「白雪姫」「プリムラ・ジュリアン」「スカビオサ」「シクラメン」「キララ」「タイム・ココナッツ」や、

 

「ビーダンス」「クリスマスローズ」「ガーデンマム・ブラークブロンズ」などである。

 
 

akijiiの塗絵-(74)

今報の塗り絵真田信之の正室/小松姫(こまつひめ)です。

 

1573(天正元年)年~1620(元和6)

安土桃山時代から江戸時代初期の女性。徳川家康の四天王として知られる重鎮・本多忠勝の長女で母は側室の乙女の方。幼名は「稲姫」、「おねい」とも称している。後に17歳で徳川家康の養女となり、天正14年、真田信之の正室となる。二人は生涯仲が良く、22女を産んだ。父親譲りの豪勇さと聡明さを兼ね、容姿端麗な武家の美女として知られる。

 

 

引き続き、Vol.516-2/4をご覧ください。