Vol.508-1/3 自ずから行為しているか 。<観音霊場・式内社-09:<1>田村神社> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

新居宮池の動静

◇だんご山3兄弟と宮池。

◇国分寺新居地区には三ケ所池(水利組合)があるが、近況を上流から並べてみる。

▼大池-耐震工事中

 

▼新池-水抜き中

 

▼宮池

 

 

 

沁みる言葉

()ずから行為しているか

 

仏教の世界では、何か素晴らしいことがあると、七宝の蓮華が雨()り、そして、百千の天の楽(がく)が、鼓()たざるに自ずから鳴るのだという。

それを示す「天鼓自鳴(てんこじめい)」とか「不鼓自鳴」という四字句が、いろんな経典に出てくると聴く。

 

そういう光景を素直に愉快だと思いたいが、悪しき合理主義や実証主義にドップリと浸る人は、有り得ない事と一笑に付すだろう。しかし、想像力という観点からは、要するにその人は貧困である。

よく想像の翼を広げると云うが、それを豊かに広げたところにこそ、心の豊かさも立ち現われるだろう。

想像力の枯渇は、人間性を大きく損ねるだろう。

 

それに、この「自(おの)ずから鳴る」ところが嬉しいではないか。私たちの日常は、全部が全部とはいかないが、肝心な所は自分が仕切っていると、思って生活している。そうでないと、やってられないのだけれど、しかし、本当にそうか。私たちは、天鼓が自(おの)ずから鳴るように、自()ずから行為しているか。

他の動向につられて、ついフラフラッと…ではないか。

内なる声に耳を澄ませていけば、やがては、わが鼓も自(おの)ずから鳴るだろう。

それが、自己実現の第一歩だと想う。

 

 

Walking & Potteringの風景

金蔵寺事件之碑-2(善通寺市金蔵寺町)

 

南海地震で倒壊した鳥居の基部、東側(善通寺市中村町)

 

牛額寺奥院-薬師堂、魔崖仏(善通寺市碑殿町)

 

Flower arrangement

 

 

頭上に広がる空間、空(そら)

 

 

A seasonal flower 

◇ウォーキングコースの数カ所のお宅に咲いていた皇帝ダリア

メキシコから中米にかけて分布する多年草で、ダリアの仲間は27種が自生しており、茎が木のようになる3種がツリーダリアと呼ばれている。

 

その中で最も大きく成長するのが、この皇帝ダリア(Dahlia imperialis)である。

環境が合っていると高さ6mにも成長する。

 

花期は11月下旬~12月上旬で、数mにも及ぶ長く伸びた茎の上部に、花径2030㎝にもなる大きな花を、数輪から数十輪咲かせる。

8枚の花弁を持つピンクの花は、花期の間次々と開花し、雄大で美しい草姿を見せてくれる。

 

 

 

akijiiの塗絵-(66)

今報の塗り絵大雪 tai setsuです。

 

引き続き、Vol.508-2/3をご覧ください。