Vol.500-1/4 物の遣り取りは…。<観音霊場・式内社-01:⑦萬生寺⑥観音寺> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

 

 

新居宮池の動静

台風一過の宮池の夕暮。

 

 

沁みる言葉

物の遣り取りは心のやりとり

 

日本は贈答社会だが、人から物を貰って、そのままにするのを「もらい捨て」というが、それはあまり良いことではない。「お返し」という言葉は既に、中世末・近世初頭の「多聞院日記」(興福寺僧の日記)に出ているらしい。私たちの社会での、物の遣り取りは根が深い。

これで経済が動くのだから、何も悪いことではないが、「もらい捨て」にせず「お返し」をすることが、単に感謝の表意だけなのかどうか? いわゆるチャラ、差し引きゼロにしておこうという気持ちが無いとは云えない。そう考えると、物の遣り取りは、なかなか微妙な心理のやりとりでもある。

 

仏教では、理想的な物のやりとりを「三輪清浄(さんりんしょうじょう)の布施」といっている。

三輪とは、能施(のうせ)(物を贈る人)・所施(しょせ)(物を贈られる人)・施物(せもつ)(贈られる物そのもの)のことで、正当に入手された物が、贈る人から贈られる人へとやりとりされる。

そこには、些かの蟠(わだかま)りもない。そういうやりとりを「三輪清浄の布施」と言うのだ。

私たちの贈答はいわばDNAだからなくならない。

であれば、爽やかな物の遣り取りを心掛けたいものだ。

 

 

Walking & Potteringの風景

西光寺・法然堂:極楽橋(吉田川)、国王神社(まんのう町宮田)

 

丸山城跡、葛城神社(まんのう町買田)

 

粟井神社-社号標、本殿と拝殿・神楽殿(観音寺市粟井町)

 

藤目山-藤目城址へ、(山頂):藤目城址(観音寺市粟井町)

 

 

 

Flower arrangement

 

 

 

頭上に広がる空間、空(そら)

 

 

A seasonal flower 

史跡巡りの道中出会ったジンジャ(花縮砂(はなしゅくしゃ))

インド原産で晩夏から秋にかけて、背の高い大きな花が咲く。色は白、オレンジ色などだが、白花のものがベーシックなジンジャーで、そこから背の高いオレンジや黄色などの花のものが改良して作られたとのこと。

「ジンジャー」は「生姜(しょうが)」の英名だが、生姜風味の炭酸飲料に「ジンジャーエール」というのがある。別名は「花縮砂(はなしゅくしゃ)」で、花言葉は「豊かな心」である。

 

史跡巡りの道中出会ったベビサンロ

南アフリカ東部原産の植物で、庭先などでよく見られるマツバギクに近い仲間で、英語名「ベビーサンローズ」でよく知られている。

 

また、ハナツルクサ(花蔓草)とも呼ばれる。丈夫で這う性質を活かして、春から秋のグランドカバーやロックガーデン、吊り鉢などに利用される。

 

 

akijiiの塗絵-(58)

今報の塗り絵天武天皇皇后/持統天皇(じとうてんのう)です。

生没不詳・推定645(大化元年)年~702(大宝2)年頃

飛鳥時代末期の女帝で、日本の第41代天皇。天智天皇の第二始皇女で大海人皇子(後の天武天皇)の妃となる。

天武天皇を補佐して日本初の律令国家形成に尽力した。

「春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣干すてふ 天の香具山」-「新古今集」夏

 

引き続き、Vol.500-2/3をご覧ください。