Vol.497-1/4 善悪の両者に汚されない。<JR沿線を歩く-45:琴平駅~善通寺駅> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

 

新居宮池の動静

産土神の秋大祭の幟を映す宮池の池面。

 

 

沁みる言葉

善悪の両者に汚されない

 

仏教のもっとも古い聖典といわれる「スッタ・ニパータ」に、サビアという遍歴の一修行者が述べた次のような仏陀讃嘆の言葉が収められていると聴く。

---- 麗しい白蓮華(びゃくれんげ)が泥水に染(そま)らないように、あなたは善悪の両者に汚(けが)されません。

インドでは、清楚な白色が尊ばれる(ハスの花も白)。その白蓮華は泥水に育つが、泥に汚されない。

仏陀はそのように、善悪の両者に汚されないというのだ。

 

このなか、悪に汚されないのは解るが、善に汚されないとは、どういうことなのか。

善行は人知れずに「ソッとしておく」ものだが、私たちはそれが中々できない。

その行為が善ければ善いほど、人に知って貰いたいという気持ちが強くなる。

つまり、それに見合う評価が欲しいのである。

しかし、世の中はそう易(やす)くはなく過小評価される。あるいは、何ダそんな事と無視をされる。

そうなると気分は悪いし、その評価を下した人を心の中で罵ることにもなるだろう。

 

せっかくの善い行為も、水の泡どころか、すでに悪に変貌している。

私たちの、善の危うさを考えさせる言葉である。

 

 

Walking & Potteringの風景

富隈神社-参道入口、社殿からの眺望-(まんのう町公文)

 

石井神社-参道鳥居、随神門(琴平町苗田)

 

 

 

Flower arrangement

 

 

頭上に広がる空間、空(そら)

 

 

A seasonal flower 

史跡巡りの道中出会ったストロベリ

セージはシソ科アキギリ属の多年草または常緑低木。和名はヤクヨウサルビア。地中海原産。

属名でも分かるとおりサルビアに近縁であり、sage の一般名自体、ラテン語の salvia (フランス語 sauge を経て)転訛したものである。広義には、セージもサルビアもアキギリ属全般を指す。

また、アキギリ属を、サルビア属とも呼ぶ。本来、英名のセージ(Sage)は、サルビア属全体のことをさすため、大変多くの種類がある。

それらと区別するため、コモン・セージ、あるいは別名ガーデン・セージとも呼ぶ。

 

 

ウォキングコスにいていた木槿

 

図鑑などで調べたが不詳だが、ウォーキングコースの山手の溝の側に咲いていた。

 

 

史跡巡りの道中出会ったかぼちゃ

葉は大きく突起を持ち、斑模様や裂片をつける。花は黄色や橙色であり、短命。そのため受粉に人工授粉が施されることが多い。

 

 

史跡巡りの道中出会った昼顔

名前のとおり、昼間に開花し夕方にはしぼむ。晩春から秋まで長い間咲き続ける。

 

 

史跡巡りの道中出会った菊芋擬(きくいももどき)

名前とうらはらに黄色が鮮やかな美しい花、葉っぱが結構ギザギザで繁殖力は旺盛である。

 

 

 

akijiiの塗絵-(55)

今報大歩危(おおぼけ)です。

吉野川流域に位置する渓谷で、巨岩・奇岩が曲がりくねった流れを囲んでいる。

 

引き続き、Vol.497-2/4をご覧ください。