Vol.460-1/2 残る桜も散る桜。<JR沿線を歩く-08:詫間駅~津島ノ宮駅> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

 

新居宮池の動静

ソメイヨシノ桜の開花が一気に始まった宮池の遊歩道。

香川県は43日に開花宣言(昨年より7日遅れ)された。(栗林公園の標本木に5輪の花が咲いた)

 
 

<どう捉え、どう考える(行動)べきか>

散る桜 残る桜も 散る桜

 

この句は、江戸時代の曹洞宗の僧侶で、歌人でもあった良寛和尚の辞世の句と言われている。

意味は「今どんなに美しく綺麗に咲いている桜でもいつかは必ず散る。そのことを心得ておくこと。」、要するに限られた「いのち」というように受け取れる。

 

世の中には仕事、家庭、対人関係、子育て、自分の将来、健康やお金のこと等、色々悩み事が多くある。幸せな事より悩み事の方が多く重たくのし掛かっているのではないだろうか。

しかし、物事には全て結果がある事は言うまでもなく、無常にも時間は止めることは出来ない。

ならばどう時間を過ごすのかを考える。 即ち、限られた「いのち」の中で、その結果に到るまでを如何に充実したものにし、悔いの残らないようにするかが大事となる。


また、親鸞聖人が得度(とくど)をする時に詠んだと伝えられる「明日ありと思う心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」という歌を連想する。

「明日があると思い込んでいる気持ちは、いつ散るかもしれない儚い桜のようです。夜に嵐が吹こうものならもう見ることはできません。」とそのような心境であったのだろう。
 

この二つの歌は、私たちが今生きている命を「如何に生きるか」ということを問われているのだろう。

自分自身が積み重ねてきた過去の苦しみや楽しみの経験を現在に生かし、未来に繋げていくことが出来るのは、自分一人の力だけではなく、色々な人に支えられているからこそ実現できるのだと気付き、そして感謝の気持ちを持って日々充実した生活を過ごさせて頂く事が私たちの使命であろうと考える。

 

 

Walking & Potteringの風景

大山神社、大山神社から見る県道197号線とJR土讃線線路(まんのう町神野)

 

諏訪神社(まんのう町真野)

 

 
 

Flower arrangement

 
 

頭上に広がる空間、空(そら)

 
 

A seasonal flower 

ウォキングコスにいていた紫木蓮(シモクレン)

開花時期は3月下旬~4月末頃で、白木蓮よりも10日ぐらい後から咲き出す。

外側は赤またはピンク色で内側は白、外側と内側のコントラストが美しい。花はけっこうでかく葉っぱが出てくるちょっと前に咲きだす。原産地は中国である。

 

 

ウォキングコスにいていたマグノリアバルカン

1990年にニュージーランドで作出された園芸品種で、木蓮と白木蓮を交雑させたものをマグノリア・スーランジアナというが、その仲間の1つである。葉は広い卵形で、互い違いに生える(互生)。
葉の縁にぎざぎざ(鋸歯)はなく、開花時期は4月で、紅色の大輪の品種で、セミダブルの花の形が美しい。

 

 

ウォキングコスにいていた雪柳(ゆきやなぎ)

開花時期は3月中旬~4月中旬頃、中国が原産である。葉が柳の葉に似て細長く、枝いっぱいに白い花を雪が積もったように咲かせるところからこの名がついた。花がいっぱい散ったあとの地面も雪がパラパラと積もったように見える。花言葉は「愛嬌(あいきょう)」である。

 

 
 

akijiiの塗絵-(18)

今報和暦二十四節気の「華やかに春咲き誇る -清明 sei meiです。

 

引き続き、Vol.460-2/2をご覧ください。