Vol.422-1/3に続けてご覧ください。
<さぬき/てつたび:ことでん駅周辺シリーズ>
27:《[長尾線] N05木太東口駅/ N04林道駅》
■<[長尾線] N05木太東口駅>
高松市中心部(瓦町駅)から10分という立地条件から、周辺は住宅地化しているが、歴史の一旦と併せて取材のテーマとした。
<駅メモ、所在地、駅名標と駅舎&ホーム>
木太東口駅は1912(明治45)年4月30日の高松電鉄創業から一度も場所を移すことなく、104年を迎える。周辺をバイパスが走り抜ける度に田畑に家が建ち、商店となり、マンションが現れ、やがて駅は家々に取り囲まれて身動きが取れなくなった。道路からホームは全く見えず、進入路はほとんど迷路と化している。
▼所在地図
▼駅名標とホーム&電車
<周辺施設・地域メモ>
木太小学校、木太南小学校、高松大学や白旗神社などがある。
▼高松市立木太小学校
▼高松市立木太南小学校
▼木太天満宮-1
木太天満宮は、長尾・大内10号線、詰田川・下川天神橋北西に鎮座する神社である。
▼木太天満宮-2
境内には神木の楠の大木があり、高松市の名木第二十号に指定されている。
▼春日神社-1
御祭神は、天児屋根命であり、御神体には昔から伝承する室銃姫の御鏡が、秘蔵されている。
▼春日神社-2
▼深妙寺
真宗・大谷派の寺院である。
▼夷神社
この社には、釣り竿を担ぎ鯛を小脇に抱えた石像がある。漁師達が守護神として、蛭子神(八重事代主命)を祭ったと言われている。
▼夷庵跡
夷庵は下川の内地区にあり川の内施貸庵(せったいあん)とも言われ、生駒藩時代の処刑場跡との言い伝えがある。
▼白山神社古墳
1985年に実施した発掘調査により、存在が明らかになった古墳である。調査時の計測によると東西約11m、南北約13m、高さ約2mと考えられる。墳丘の中心からやや南東に位置する場所から竪穴式石槨を発見した。比較的小規模で、既に盗掘を受け遺物は皆無であったが、赤色の顔料が石槨全面に塗布されていた。魔除けや鎮魂などの意図で施されたものと考えられる。海抜2m弱という県内でももっとも低地所在するこの古墳は、かつて海岸線近くに位置したと考えられ、当時の地形を復元するうえで注目すべき存在である。(説明板抜粋)
<名所・旧跡(遺跡)>-- 小村田之助の碑、白旗神社
「小村田之助(おもれ たのすけ)の碑」は、1644(寛永21)年に同所で斬首された21歳の庄屋の碑である。
山田郡小村(おもれ)の田之助は2年続きの日照りで苦しむ農民のため藩に強訴して死罪となった。初代高松藩主松平頼重は領民の嘆願を受けて処刑中止を決めたが、急使の旗の合図が通じず処刑された。
白旗を振った場所に建てた白旗神社は石碑から北西150mの住宅地の中にある。
▼小村田之助の碑
駅北450m周辺を3~4回巡回したが、発見出来なかった。
▼白旗神社
藩主松平頼重は罪一等を減じようと急使を走らせたが、間に合わないとみた急使は馬上から白旗を振り、処刑中止を知らせたが、刑場役人は「早く処刑しろ」の合図と思い、処刑したと伝えられている。
地元民たちは義民小村田之助を偲んで、白旗を振ったと伝えられる所に社を建て白旗神社となった。
<見もの・聞きもの>
◇高松大学
駅北東1kmの春日川東岸に高松大学、高松大学大学院、高松短大と高松東幼稚園の施設群が並ぶ。
1968年の幼稚園経営からスタートし、保育士育成のため短大を開学し、1996年に大学、2000年に大学院と順調に推移し現在、児童・学生を合わせて約1,100人が学ぶ文教エリアに発展した。
2009年10月に付属研究施設「子ども研究所」を開設して地域連携も進めている。
▼高松東幼稚園
▼高松大学(短大・大学院)-1
▼高松大学(短大・大学院)-2
◇夢菓房たから
駅東1kmの「夢菓房たから」(平成13年社名変更)は、創業80年(昭和11年創業)のフルーツ大福の有名店で、初代の屋号は「たからまんじゅう」である。評判のいちご大福(1個240円)は2002年の第24回全国菓子博で最高賞を受賞した。
▼夢菓房たから-1
▼夢菓房たから-2
▼いちご大福、父の日限定・すいか大福(HPから引用)
引き続き、Vol.422-3/3をご覧ください。







































