新居宮池の風景
宮池の遊歩道。
Walking & Potteringの風景
見逢橋・出逢橋、見逢橋・出逢橋から見る願い橋・叶え橋。
<どう捉え、どう考えるべきか>
自分に期待を…。
不平や不満は、期待が外れた時に「どうして、何故」と湧いてくる。
一般的には誰にも生じていると想っているのだが、特別な人が存在しているかも知れないのだが…。
友人や知人の関係では、信頼が大きいだけに不信感に陥り、長引き、しこりとなって心の奥に残る。
反対に余り信頼を置いていない人の場合はあきらめも早い。
他人に期待はしないことである。
一緒に暮らしている家族も、他人とは言わないが、自分とは違う人間という意味で、やはり他の人である。
他の人に期待してはならない。
うまく応えてくれれば当然で、それがなければ不平不満でいっぱいになる。
近しければ、近しいだけ、その不平不満は大きくなる。
子供の成績が上がって、いい学校へ入って欲しいという期待も、子供が望んでいなければ、それは自分の期待でしかない。それを押しつけて、うまく行かないからといって不平不満に落ち込むのは、自業自得でしかない。
進学でエリートコースに乗るより、一度や二度の失敗を経験して大人になって、他人への思いやりがあり、打たれ強い人間になる方が、先々の人生に輝きが見られると思うが、往々にして順風満帆で来た人ほど、社会に出た後に組織の中で、上手くいかないと鬱になったりして、不幸になった例は沢山ある。
期待は相手にではなく、自分にすべきである。
自分になら、いくら大きな期待を持ってもいい。上手くいかないのは自分自身に原因があるから、結果は自分に戻って来るだけだ。しかし、欲がないのか、自分には期待をしないで、最初から諦めている人が多いように見える。それでは何事も進歩せず、自分を小さくする。
自分に期待することで、自分が努力し、自分が進歩するための原動力となる。
他人に期待することで、欲求不満になるよりは、自分に期待をして、器を大きくする努力をしたいものだ。
上記は、ある作家が述べている事を要約したものだが、貴方はどのように思いますか。
<Flower arrangement>
A seasonal flower
◆ウォーキングコースに咲いていた百日紅(さるすべり)
開花時期は7月中旬~10月中旬頃で、中国原産である。
約100日間、ピンクの花を咲かせるのが名前の由来で、約3ヶ月間(夏から秋まで)咲き続ける。実際には、一度咲いた枝先から再度芽が出てきて花をつけるため、咲き続けているように見える。花はしわしわの形で、白い花もある。幹がスベスベで、猿も登れないところから「猿滑」とも書く。
◆JR四国の比地大駅ホームの側に咲いていた芙蓉(ふよう)
開花時期は8月上旬~10月上旬頃で、ピンク色の大型の花を咲かせる。枯れたあとの姿も印象的で、枯れ芙蓉という。昔から、「美しい人のたとえ」に用いられている花で、美しくしとやかな顔立ちのことを「芙蓉の顔」という。
今に息づく その時 あの言葉 その時 歴史が動いた
我々は真に野花(のばな)の一茎(ひとくき)にだも如かざる 微細な人間であるけれども 野花はだけに生涯の美があります 井上 江花
1918(大正 7)年9月21日 米騒動によって寺内正毅内閣が総辞職
第一次大戦下、富裕層の集中投機で米価が跳ね上がり、民衆の生活を直撃する。時の寺内正毅総理は帝国主義政策に邁進して民衆を顧みず、米価はさらに高騰。米俵の船積みをしていた富山県の女性たちが立ち上がる。当初は小さな請願運動であったが、地元の新聞記者・井上江花は、貧富の差がもたらした重大な社会問題として、政府の責任を追及。弾圧を受けながら各地の新聞社に配信し、騒動は全国規模に発展。政府は軍隊による鎮圧で多数の犠牲者を出し、民衆の反感を買う。騒動は倒閣運動へ発展し、ついに寺内内閣を総辞職に追い込む。名もなき人たちが歴史を動かす、大正デモクラシーの始まりとなった。
<Akijii展、想い出の風景-Ⅰ(四国のみち編:01)>
今報の想い出の写真は「茶摘みのみち」です。
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引き続き、Vol.351-2/3をご覧ください。