Vol.341-1/3に続けてご覧ください。
<瀬戸内海、かがわ海岸道路を往くシリーズ>
04-2/2:《県道21号角ローソン~宇多津ビブレ交差点》
(取材ルートと距離) [JR詫間駅-JR宇多津駅] (22.5km+0.6km)
JR詫間駅—-(0.2)—-◎県道21号角<ローソン>—-(6.0)—-①弘田川<海岸寺橋>—-(7.7)—---②金倉川<中津大橋>—-(8.8)--③宇多津町<ビブレ交差点>--(0.4)--JR宇多津駅
このルートは、JR詫間駅から海岸寺駅までJR予讃線と併走し、そのご宇多津町まで「さぬき浜街道」を北東に進み、津島神社や屏風浦海岸寺、海辺を走る鉄道の姿が楽しめるビューポイント、中津万象園などがあり、商港として多度津港や丸亀港などがある。
前報から引き続き、ご覧ください。
▼ルートマップ、コースの詳細地図
多度津港は江戸時代、第5代多度津藩領主、京極高塚(たかてる)の時代、藩の財政を改善するため当時栄えていた丸亀港よりもっと大きな船の入れる港を築こうと、家老自らが陣頭指揮をして湛甫を築いたのが商港としての起源で、港の完成と同時に全国から金毘羅船、北前船が集まる金毘羅参詣の要地および物資の集散地となり、港は大いに賑わった。今後は先端産業と流通機能が組み合わされた新しい総合港湾としての発展が期待されている。
▼多度津港-1
昭和39年、工場用地として日の出町を造成したが、工場用地としては売却できず、住宅地として利用することになった。現在、浜街道沿いに残っているコンクリートの壁は、この時に住宅地を高潮から守るために造った防波堤なのである。昭和49年にはさらに北側を埋め立て、東港町の工業用地を造成したため、堤防だけが内陸部に取り残された。遮音壁へと役目を変えたこの堤防が、かつて海だった事を物語る唯一の生き証人だ。
▼浜街道沿いのコンクリートの壁
▼堀江公園へ寄る-2
丸亀少女の家は、初等・中等・特別少年院が併設された女子少年院で、西日本では特修短期処遇に唯一対応し、西日本の特修短期処遇集約施設となる。
▼中津大橋へ向かう-4、丸亀少女の家