今報の雑学 簡単なことをなぜ「屁(へ)の河童(かっぱ)」と言うのか
昭和13年12月17日、河童の絵で知られる小川芋銭が死去した(亨年70歳)。
河童は想像上の動物で、動物であるからには屁をしても一向に不思議ではないけれども、簡単なこと、たわいないことを「屁の河」というのはなぜか。「屁の河童」の語録については二つの説がある。河童は水の中に住んでいるとされる動物だから、屁をするとすれば水中でする。
水の中だと、陸上(空中)でする屁はたいしたことはない。そこから、たわいないこと、とるにたりないことを「河童の屁」といい、それをひっくり返して「屁の河童」というようになった。これに対し、「木端(こっぱ)の火」が「河童の屁」になったとする説がある。木端=木のくずは火が付きやすく、すぐに燃え尽きてしまう。そこでたやすいことを「木端の火」と称し、発音がよく似ていることから洒落で「河童の屁」と言うようになった。一般には後者の説がとられている。
<どう捉え、どう考えるべきか>
佐藤 初女(森のイスキア主宰)「いのちのことば=心の道しるべ」の6回目(最終)は、「人はいくつになっても成長できる」「自分自身で考え、自分自身で決める」「揺れる葉の幹は成長している」「こころは花と同じです」を紹介します。
051.人はいくつになっても成長できる
「自分は成長する」と心に決めて、その日そのときを精一杯生きていれば、必ずそのなかに気づきがあります。
小さな気づきが、長い年月のあいだに大きな積み重ねになっていきます。
054.自分自身で考え、自分自身で決める
「親のせいで」「世の中が悪いから」などと、問題の原因をまわりのせいにして逃げている限り、解決はいっそう遠ざかるだけです。そうならないためにも、自分自身で考えて答えを出すことです。
自分の意思で決定したことは、自分で責任を持つしかないのですから。
070.揺れる葉の幹は成長している
怒ったり感情的になることは、私にもありますよ。ときには腹も立ちます。
若い木の幹はか細いように見えても、葉っぱや枝が揺れていても、その芯は毅然としている。
揺れているときは、成長の段階にあるんです。だから揺れるのは自然なこと。
芯がしっかりしていれば、木は大きく育ちます。
130.こころは花と同じです
かたく閉じられたつぼみが、やがて美しく花開くように、開かれたこころは輝きを放ちます。
しかも、こころの花を咲かすことができるのは自分自身だけです。
かたいつぼみを無理にこじあけたら枯れてしまうのと同じように、どんな人でも誰かのこころを無理にあけることはできないでしょう。
あなたのこころの花が、ほほえむように咲きますように。
新居宮池とWalking &
Potteringの風景
穏やかな姿を見せる宮池。
田舎の朝。
A seasonal flower
田舎(高知市)の名物、高須のコスモス
秋になると高須農道と南国バイバスに挟まれた広い田んぼにコスモスがたくさん咲き乱れる。
高知市内の宅地化が進み、田んぼや畑が随分少なくなったが、この高須一帯は高知市内で田園風景を残す数少ない場所である。五台山の北側に位置し、牧野植物園から見下ろして見える田んぼはここで、春には、田植え後の青々とした美しい姿を見せ、秋には米の収穫後に種を巻いて、こんなに素敵なコスモス畑に変身をする。春にも秋にもほっこりとする景色を見せてくれる素敵な場所である。
<Akijii展、再展示>
今報は新聞ちぎり絵「由良山、採石場跡」です。
引き続き、Vol.297-2/2をご覧ください。






