今報の雑学 地上ではくのになぜ地下足袋なのか
昭和2年12月30日、日本初の地下鉄が上野~浅草間で営業開始した。
地下足袋はホワイトカラーのサラリーマンには用はないが、裏にはゴムがついていて足にぴったりフィットするので、戸外で作業する人には便利な履き物である。地下足袋の発明者は日本足袋株式会社の社長、石橋徳三郎。石橋家はもともと仕立屋であったが、やがて足袋を作るようになり、ある時、横浜で外国人がゴム靴をはいているのを見かけ、それをヒントに大正11年、ゴム底の新しい足袋を作りだした。その際、テニス靴を手本にしたとも言われている。そして市販に先立ち、社長はそれを九州の炭鉱夫たちに試し履きして貰った。炭鉱夫の仕事場は地下、それを地面にじかに履くことから、この新しい足袋はいつしか「地下(じか)足袋」と呼ばれるようになった。ちなみに、この日本足袋株式会社が今日のブリジストンの前身である。地下足袋は爆発的な人気を呼び、昭和6年、今度はタイヤの製造に乗り出した。
<どう捉え、どう考えるべきか>
「弘法大師の言葉」
2014年は四国霊場開創1200年の記念の年であった。
「お大師様のことば」の中から、今年の締めくくりとして、私の想いの強い一つを紹介します。
少欲(しょうよく)の想(おも)い はじめて生(しょう)じ
知足(ちそく)の心 やや発(おこ)る
東日本大震災や原発事故の社会に対して、仏教界から“少欲知足”という言葉が投げ掛けられていると聞きますが、それは便利さに慣れ切っている現代人に向かっての戒めの言葉でしょう。
何かの書物に、京都の苔寺(こけでら)の縁側の近くの庭にある手水鉢に、口を中心として上に「五」、右に「隹」、下に「・」、左に「矢」の“吾、唯だ足るを知る”とよめる蹲(つくばい)があった記載されていたが、これも人々への戒めの言葉だろう。
四国霊場開創1200年に、今一度この「弘法大師の言葉」の意味を深めたいものです。
新居宮池とWalking & Potteringの風景
朝靄がかかる宮池。
だんご3兄弟を登る朝日。
A seasonal flower
歯科医院の玄関と診察室で咲いていたカニサボテン
花の時期は11~12月頃で、とても色鮮やかで美しい花をつける。
葉摘み4~5月にかけて、新しい葉が成長しやすくするために、株のバランスを整えて、整形する必要がある。葉は節の部分で簡単に折れるので、ハサミなどは使わず、手で摘み、摘み取ったものはさし芽に使える。
さし芽をするときは、1節、または2節ずつ用土にさし、根が出たら植え替えるようにする。サボテンの花言葉は「燃える心
内気な乙女 秘めた熱意 情熱」である。
<Akijii展、再展示>
今報はシェイプアートの「ナンテンと和笠」です。
引き続き、Vol.300-2/2をご覧ください。







