今報の雑学 なぜ出身校を「母校」というのか
大正2年8月21日、東北帝大に初の女子大学生(3名)が誕生した。
自分が卒業した学校のことを「母校」といい、「父校」とはいわない。
また関係のある学校を「姉妹校」といったりするが、これを「兄弟校」とはいわない。
どうして父校ではなく母校、兄弟校ではなく姉妹校なのか。
ヨーロッパの言語、例えば英語やフランス語では名詞は男性名詞と女性名詞に分かれていることは
ご存じのとおりで、実は学校は女性名詞であり、学校という言葉は明治のはじめ、英語のschool、
フランス語のecoleの訳語として作られたものであった。そこで自分を育ててくれた親なる学校という
意味から「母校」と呼ぶようになった。姉妹校というのも同じ理由からである。
なお、ヨーロッパの言語ですべての名詞が男性・女性(あるいは中性)に区分されているのは、もとも
と生物を雄・雌に分けたことから。例えば,太陽や学校なども、男女に分けるようになったと言われ
ている。
<Flower arrangement>
批判に感謝…。
剣道の上達のコツに「打ってくれて、ありがとう」があるという。
精神的に充実していない「虚」の部分や、技術的に熟達していない「幼稚」な部分、そういうところを相手が竹刀で叩いて教えてくれて、それに寄って自分はひとつ成長できる。
だから「打ってくれて、ありがとう」なのだと…。お互いが感謝の気持ちでいるためにも、相手の隙を遠慮会釈なく自分も打ち込む。これが剣道の素晴らしいこところである。
この流れを人生に置き換えると、ピタリとハマる。
例えば、誰かに批判をされたとする。その時に、批判をした人に対して恨みを持つのではなくて、感謝しなくてはいけないということである。
「批判を受けるということは、教えを受けるに等しい」と考えるのだ。
そうすれば、心はイライラしないし、自分は素直に真っ直ぐ成長することができる。
多くの成功者は、「あの時、色々と辛い事を言われたけれど、そのお陰様で苦難を乗り越えられました」と言うが、失敗者は逆に「あの時、周りにこんなひどい事を言われた。そのせいで失敗してしまった」というものだ。
成功者は批判に感謝し、失敗者は批判を批判する。
不思議なもので、人生に失敗している人はどういうワケか愚痴を言う癖があり、逆に成功する人は感謝かる癖がある。心の持ちようひとつで、人生というものは大きく変わってしまうようだ。
批判を受けるということは、教えを受けることに等しいのである。
新居宮池とWalking & Potteringの風景
芙蓉と宮池とだんご3兄弟。
三本松港の赤灯台。
A seasonal flower
香川の河川の取材で、平木尾池に咲いていた蓮(はす)
インド原産ですごくきれいな色。蓮は「蜂巣(はちす)」の略である。実の入った花床(花中央の黄色部分)は沢山の穴が空いていて、蜂の巣に似ていることから。漢字の「蓮」は漢名からで、種子が連なってつくことからといわれる。夏の朝に水面まで花茎を立てて開花。朝早く開き午後3時頃には閉じる。花の開閉は3回繰り返し、4日目には花びらが散る(不思議♪)。アジアの多くの国の国花となっている。仏教では、西方浄土の極楽は神聖な蓮の池、と信じられているため、寺の境内にハス池を作って植えるようになった。また多くの仏典に「蓮華(れんげ)」の名で登場し、仏像の台座にもその形がよく使われる。
<Akijii展、再展示>
引き続き、Vol.276-2/3をご覧ください。