Vol.263-2/3 ルーティンの仕事…。<四国のみち(国交省)05:本山寺~高瀬橋> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

Vol.263-1/3に続けてご覧ください。


<四国のみち(国交省コース)シリーズ>

05:本山寺--菰池--高瀬橋

・踏破ルート<本山寺←3.7km菰池2.2km高瀬橋

・歩行距離と時間<5.9km—2.0h

▼本山寺仁王門のakijii、菰池(こもいけ)へ向かう1

▼菰池へ向かう2

▼菰池へ向かう3


三豊平野の中央に位置している豊中町は、町土の2/3が水田地帯だ。


▼菰池へ向かう4、妙音寺前を通過

▼菰池へ向かう5(弥谷寺9.7km-本山寺1.7kmの道標)、下道へ左折

▼菰池へ向かう6

▼菰池へ向かう7、菰池へ向かう8(懐かしい梵鐘)

▼菰池へ向かう9


笠田地区の旧国道沿いのみちを進むと、天保山親水公園がある。
水とふれあい親しむための遊水施設だ。

大津池の周囲には遊歩道があり、地域の人の憩いの場となっている。

▼大津池と反射鏡、大津池と天保山親水公園


▼菰池へ向かう10

権兵衛神社(七義士神社)は、国道11号線沿い、長池そばに鎮座する神社で、鳥居をくぐり境内にはいると、正面に拝殿、その横に芝居小屋がある。鳥居右手に大西権兵衛の辞世の句「此の世をば泡と見て来しわが心 民に代わりて今日ぞ嬉しき」が刻まれた大きな碑がある。

境内にある記念碑を見ると、五十年事に立てられているようで、社殿横の芝居小屋も、二百五十年祭の事業として建てられたようだ。
権兵衛神社は、17501月に起こった讃岐最大の一揆の首謀者として処刑れた、七人の義民(義人)を祀る神社で、明治明治36年に建てられた。

▼菰池へ向かう11、権兵衛神社へ寄る1

▼権兵衛神社へ寄る2

▼権兵衛神社へ寄る3


▼菰池へ向かう12


▼菰池へ向かう13、菰池に着く

▼高瀬橋へ向かう1、前方は天霧山・弥谷山

▼高瀬橋へ向かう2

▼高瀬橋へ向かう3

▼高瀬橋へ向かう4

加茂高津神社は、国道11号線沿いの高瀬警察署の西方、300mの所に鎮座する神社で、敷地は周囲より1.5m位高く、さらに土塀が四方に立っているため、内部の様子がわかりにくい。
由緒を読むと、皇子屋鋪と呼ばれていたそうだが、鳥居が無ければ、確かに一般住宅地にしか見えない。

▼加茂高津神社に寄る

▼高瀬橋へ向かう5

▼高瀬橋へ向かう6

▼高瀬橋へ向かう7(弥谷寺5.3km本山寺6.0kmの道標)、高橋橋とakijii
高瀬川橋は、県道221号線に架かる橋である。

引き続き、Vol.263-3/3をご覧ください。