Vol.244-1/3に続けてご覧ください。
<四国八十八か所讃岐巡りシリーズ>
13:《出釈迦寺》
第七十三番 我拝師山(がはいしざん) 出釈迦寺(しゅっしゃかじ)
求聞持院(ぐもんじいん)
本尊:釈迦如来 開基:弘法大師 宗派:真言宗御室派
真言:のうまく、さんまんだ、ぼだなん、ばく
御詠歌:まよひぬる六道衆生すくはんとたうとき山にいづる釈迦寺
所在地:〒765-0061 香川県善通寺市吉原町1091
<歴史・由来>
出釈迦寺の開基には、弘法大師幼少期の数ある伝説のひとつ「捨身ヶ嶽(しゃしんがたけ)」縁起にゆかりがある。それは、弘法大師が“真魚(まお)”と呼ばれていた7歳の時、我拝師山に登り「私は将来仏門に入り、仏の教えを広めて多くの人を救いたい。私の願いが叶うなら釈迦如来よ、姿を現したまえ。もし叶わぬのなら一命を捨ててこの身を諸仏に捧げる」と、断崖絶壁から身を投じた。すると、紫色の雲が湧き、釈迦如来と羽衣をまとった天女が舞い降り、雲の中で弘法大師を抱きとめた。
命を救われ、願いが叶うことを示された弘法大師は、青年になって我拝師山の山頂で虚空蔵菩薩像を刻んで安置し、堂宇を建てたという。
この場所は「捨身ヶ嶽禅定」といわれ元は札所でしたが、今は寺の奥の院となり、境内から急坂を50分ほど上がった場所にある。
弘法大師が虚空蔵菩薩の真言を100万回唱える「求聞持法」を修めたことから「求聞持(ぐもんじ)院」という院号がついた。
ここで拝むとすばらしい記憶力が得られ、学業成就や物忘れにご利益があるといわれている。また、弘法大師が身を投じた場所は、ここからさらに100mほど登った場所にあり、下を見れば足のすくむような深い谷底ですが、眼下には讃岐平野や瀬戸内海を一望できる絶景が広がる。
<略縁起>
弘法大師が真魚(まお)と云われていた7歳の時、倭斯濃山(わしのやま)の山頂に立ち、「自分は仏門に入って、多くの人々を救いたい、この願いが叶うのなら、釈迦如来よ現れ給え。叶わぬのなら一命を捨てて、この身を諸仏に供養する」と衆生済度の願いをかけて断崖から身を投げた。
その時、紫雲がたなびき釈迦如来が現れ天女が羽衣で抱き止め、釈迦如来が「一生成仏」の宣を授けました。
そこで大師は本尊釈迦如来を刻み、麓に堂宇を建立して我拝師山・出釈迦寺と号して、第七十三番札所として定められた。
身を投げた断崖を「捨身ヶ嶽」といい、奥の院となっている。
その後、大師が訪れたとき、求聞持(ぐもんじ)の秘法を納め虚空菩薩像を刻んで安置しており、院号の求聞持院のいわれである。
<境内>
鐘楼門をくぐると正面に本堂、右手に大師堂がある。また、直ぐ右手には見事な松の横に求聞持大師の座像がある。
奥の院の「捨て身ヶ嶽」へは寺から1.8km上がったところにあり、釈迦如来、不動明王、大師像が安置されており、讃岐平野が一望できる。
引き続き、Vol.244-3/3をご覧ください。