Today's word <にほんのおまじない>破魔矢
大安に飾り小正月にしまう。<効用>幸運を射止める。魔除け。
お正月、新築、初節句などに神社や寺院で授与していただき、飾る。名前が表すように魔を打ち破って幸運を射止める矢である。正式なものはむくろじという種類の木に鳥の羽根で作られているが、「無患子(むくろじ)」は文字通り、子どもが病気を患わないという願いが込められている。十二月の大安の日に飾り、一月十五日の小正月過ぎにしまうのが一般的ですが、一年中飾る縁起物としてもよいようである。置き場所は東か南を向けて、矢が太陽を指すことがないようにだけ気をつければ、飾るときの決まりごとはそれほど考えなくても大丈夫のようだ。また、もともと「破魔」は仏教語ですが、藁縄や木を丸めて円座のような形に作った「破魔」を投げ上げて射落とし、その結果で年を占う競技の的であった。
<Flower arrangement>
<どう捉え、どう考えるべきか>
誤った努力は…。
誤った努力はまったくの無駄だと思う。
逆境から抜け出すために、さまざまな努力をするが、その努力が誤っていないか冷静に考えてみることも大切だ。
無駄な努力とは、次のようなものをいう。
孟子いわく「木に登って魚を求む」。
こういう方向違いの努力は、気がつけば止められるが、誤った努力の中には、努力そのものの理解の仕方を誤っている場合があって、これを修正するのがかなりやっかいだ。
「私はこれだけ努力したんです。それだけは認めてください」こういう言われ方をすると、かなりの人は「まあ、そうだな」と思ってそれを受け入れてしまうのである。
世の中には「努力賞」というのもあるくらいだから、これも無理はない。だが、これこそ誤った努力だと私は思っている。
努力は何のためにするのか。
目標を達成するためだろうか。だったら成果をあげえない努力は無駄な努力ではないだろうか。
無駄な努力をして、それを「認めろ」というのは虫がよすぎる。
一生懸命やっても成果が出ないこともある。
その種の努力を認めるのはやぶさかではないが、それを努力した側が言ってはならないと思う。
相手が認めてくれたら、喜んで受ければいい。
努力させる側はそういう視点からも見てあげることが大切だが、努力をしている側が、成果もあげずに「努力を認めて欲しい」というのは卑しい根性ではないか。
…と思う2013年の暮れである。
新居宮池とWalking & Potteringの風景
A seasonal flower
丸亀町アーケード商店街の鉢に咲くシクラメン
シクラメンは、Vol.224(11/25)に掲載したが、町へ出向いた時に咲き誇った状態が素晴らしく、再度の掲載をすることとした。
<Akijii展、作品->
今報はシェイプアート「お人形のしおり」です。
<かがわ遊歩くらぶシリーズ>
2-⑫:《四国のみち香川県-総括》
各コースの踏破記念の撮影ポイント写真の一覧と感想を添え、2013年6月15日、Vol.192からスタートさせた当シリーズを今一度、振り返って「四国のみち香川県コース」の総括としたいと想います。
コース番号<>、コース名、撮影日、感想を№2/6~6/6に掲載します。
「四国のみち/香川県内コース踏破」の審査は、2013年12月11日に認定を受けて、下記の認定証を受領できました。
引き続き、Vol.231-2/6をご覧ください。