Vol.192-3/4に続けてご覧ください。
府中湖は、高松市塩江町に源を発し綾川町を貫流し、坂出市林田町で瀬戸内海に注ぐのが綾川で、その綾川は県下最長の川で延長38.213km、流域面積は130.3平方kmである。綾川流域は景勝地も多く、滝宮、柏原渓谷などには、奇岩の間を清流が流れ、四季折々の美しい風情を楽しみに訪れる人も多い。
この綾川の中流、綾南町から坂出市にまたがって作られたのが、府中湖です。
▼休憩所へ左折、向こうに鷲ノ山
府中湖休憩所に着き[11,930]、その奥に水辺のみちコースの案内板がある。
▼府中湖休憩所、コース案内板
府中湖の石碑を見て、府中湖の風景を堪能する。
▼石碑、府中湖
府中ダムの全容だ。
▼府中ダム
府中ダムと、望遠で見る府中湖と府中湖大橋である。
▼府中ダム344.府中湖と府中湖大橋
国分寺へ4.4km地点から右折し進むと、右下方向に府中ダムが見える。
▼国分寺へ4.4km、右下の府中ダム
国分寺へ4.1km地点から、カヌー研修所入口前を直進する。
▼国分寺へ4.1km、研修所入口前を直進
3.9kmの地点を右折し、小山へ登ると順教寺に出る。
▼3.9kmの地点を右折、順教寺
府中湖とお別れし、カヌー競技場の入口前を直進する。
カヌー競技場は、平成5年の東四国国体ではカヌー会場となり全国の注目を集めており、その後も全国規模のカヌー競技が行われている。
また、平成10年には、全国高等学校総合体育大会の漕艇競技の会場にもなっている。
▼府中湖とお別れ、競技場入口前を直進
県道17号線へ出て、小原を左折し北上して行く。
▼小原三叉路へ、県道17号線を左折
県道17号線を北上し、横断して右折する。
▼北上、17号線を横断右折
山の裾野みちを進んで行く。
▼裾野みちを進む
国分寺へ2.0km地点を右折し、蓮光寺山を目前に進んで行く。
▼国分寺へ右折、目前に蓮光寺山
前方に鷲ノ山を見えて来る、国分寺へ1.5km地点を左折して進む。
▼前方の鷲ノ山、国分寺へ1.5km
史蹟、府中山内瓦窯跡が左の直下に見える[19,600]。
この窯跡は、ほぼ完全な形で残っている。出土した瓦の文様や原料の粘土などからみて、この窯は約1km東方にある国分寺や国分尼寺の建立の際使用された瓦を製造した瓦窯とみられている。
▼史蹟、府中山内瓦窯跡
国道11号線の下を潜って進む。
▼11号線の手前、11号線下を潜る
関の池を右に見つつ進み、JR予讃線を横断して北進する。
▼関の池、JR予讃線の踏切
69.県道33号線へ出、国分寺へ0.6kmの指導標を見て進むと、国分寺が目前に見えて来る。
▼33号線へ出る、国分寺が目前
無事に国分寺に着いた[19,460]。山門前のゴールの記念写真を撮る。
▼国分寺に着く、山門前のakijii
国分寺の本堂と、奈良朝鋳造の銅鐘である。
国分寺の山号は白牛山、四国霊場第80番札所である。この寺のつり鐘にまわる話は…。
慶長年間、高松藩主生駒一正公が、國分寺のつり鐘に音が気に入って、朝夕の時の鐘に……と、田一町歩とひきかえにお城に持ち帰ったそうだ。ところが、かんじんの鐘は全然鳴らず、生駒公も病の床に伏してしまった。鐘は「もとの國分へいぬいぬ」といって鳴いたので、鐘はただちに國分寺にもどされた。この時「鐘がものいうた國分の鐘がもとの國分にいぬというた」という歌がよまれたそうで、今に伝わっている。
▼本堂、銅鐘
歩行時間は予定どおりの3.5時間であった。
--今報了--