Vol.179-1/5 心を清らかに…。<香川のみどり百選シリーズ4-⑥-最終回:竜王山> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

Today's word理解することによって、人は不安や恐れや疑いから自由になれる。

事情がよくわかれば、いたずらに恐れたり、怒ったり、いらついたりせずに済む。

Flower arrangement

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<どう捉え、どう考えるべきか>

心を清らかに…。


山を歩くとは、身体を使うことである。長い距離を、それも上り下りのある険しい道のりを、ただひとすら歩く。ただ足を前に出すことに集中している事で、いつのまにか雑念が取り払われる。

身体を使うとは、単に筋肉や関節を動かすということだけではない。目で見、耳で聴き、鼻で嗅ぎ、場合によっては舌で味わい、肌で触れる---つまり五感を使うという事でもある。


山は清浄な空気に包まれている。草木や鳥など命あるのが溢れていて、自然の営みの豊かさが感じ取れる。一方、山の天気は急変し、晴れていたかと思えばにわかに空が暗くなり、激しい雷雨に見舞われる。油断していると滑ったり足を踏み外したりする急斜面や、狭い尾根や、岩場などもあり、自然の営みの厳しさも思い知らされる。こうした状態に身を置けば、五感はどんどん研ぎすまされてくる。


昔も今も、行者は山に入ると、「サーンゲ、サンゲ、ロッコンショウジョウ」と唱えながら歩くと云う。いわゆる「掛け念仏」であるが、「サンゲ」とは「懺悔(さんげ)」で、この世に生を受けて今日までの罪過(罪や過失)を、神仏の前にさらけ出すことらしい。

「ロッコンショウジョウ」とは「六根清浄(ろっこんしょうじょう)」のことで、(げん)・耳()・鼻()・舌(ぜつ)・身(しん)・意()の六つの器官を指して「六根」と云い、初めの五つが視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚の五感、最後の「意」は感覚ではなく心とのこと。
心は、五感によっていろいろに生起し、迷いを起こすもととなる。

このため六根は、様々な欲望の入口ともなる。目で美しい女性を見れば色欲が起こるし、耳に心地よいお世辞が聞こえれば有頂天になる。
六根が濁っている事からくる欲望や執着を絶ち切り、心を清らかにするのが「六根清浄」と云うのである。

山は、深ければ深いほど俗界から隔絶している。俗界の様々な誘惑・欲望とは無縁で、唯一あるとすれば、「生きる」と云う欲求だけで、山中では「歩く」ことがそれに繋がる。

街中をウォーキングやジョギングをすれば、身体は鍛えられ、脚力は強まり、無駄な脂肪は取り去られ、心肺機能は高められるが、しかし、それで心を清浄にすることは難しい。

ここに、体力トレーニングと修行の違いがある。


人生の途中には、沢山の越えなければならない山がある。

どうしていいか力を失い、立ち往生することも、また反対に何でも思いどおりになるかのような有頂天に陥るときもあろう。
そんなとき、静かに山に登ってみてはどうだろうか。


山は、私たちが暮らす日常の世界よりは、生命エネルギーに満ちている。身体と五感を広げ、自然と一体となって山から下りたとき、あなたの心にはしっかりと筋肉がつき、「動じない心」が芽生えて、身も心も伸びやかに、自在に動けることになるだろう。

「動じない心」とは、「動かされない心」であり、同時にまた「自在に動ける心」である。-------------- 京都聖護院門跡門主 宮城 泰年


小生、これまで登山は未経験であったが、この一カ年間に里山登りをしてきた。上述した「六根清浄」が出来たか自信は無いが、少なくても「心を清らかにする」ことの体験を数多くしたことは間違いない。

もう少し早めに、この体験をしたかったなぁ~との感想をも持った。

皆さんにお勧めする次第である。


<新居宮池とWalking & Potteringの風景>
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This flowerォーキングコースに咲く辛夷(こぶし)
開花時期は3月中旬~4月中旬頃で、「北国の春」(千昌夫)の歌詞にでてくる。♪ こぶし咲く あの丘 北国の ああ 北国の春 ♪
昔の人は、この花の開花時期から農作業のタイミングを判断したり、花の向きから豊作になるか否かを占ったりした。種まき桜と呼ぶ地方もある。つぼみが開く直前の形が子供のにぎりこぶしに似ているところからこの名前になったらしい。また、辛夷の実はゴツゴツしており、その実の具合から「こぶし」と命名されたのでは、との説もある。白木蓮より小さい。花言葉は「信頼」である。
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<香川のみどり百選シリーズ4-⑥-最終回: (阿波・讃岐)竜王山> 


昨年の4/10にスタートさせた香川のみどり百選シリーズは今報をもって一端、終了とします。
この一年間で、山名(さんめい)の付いた登頂山座数は76を数えました。
今後も時々、里山巡りは続けて「気まぐれシリーズ」でご紹介いたします。

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名称<りゅうおうざん>

讃岐山脈の水源の森18>・里山の番号<83

所在地<まんのう町・標高<1,060M

---≫山歩き出会い<2団体、39>人・登山記帳<無>
再登山へ勝手な想い度<★★☆☆☆


竜王山は、讃岐山脈の最高峰である。竜王山の頂上は大きく三つに分かれていて、それぞれの峰には無線中継塔が立つ。東側の峰(讃岐竜王山)には古来より雨乞いの神様として竜王神社が祀られている。真ん中の峰は1,059.9mあり、一般に阿波竜王(あわりゅうおう)と呼び、竜王山の最高点で、展望台が設けられていて、ここに立つと南には剣山を盟主とする阿波の山並が重なる。東には大滝山(おおたきざん)に続く山並み、西には大川山(だいせんざん)が聳えている。その奥に雲辺寺山、遥か彼方に伊予の山並が霞んで見える。多様な生態系が保全され、特に山頂付近には自然林が残っており、登山道から貴重な自然をみることができる。
かつては高松藩への献上品である雪の産地でもあった。

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今回で当みどり百選シリーズを一旦終える事にした時、香川の最高峰であるこの山で選んだのであるが、標高や所要時間、地理的な不安、登山口までの距離などからVol.143(12-09-30)の高鉢山へ同行して貰ったMI氏の2人に、今回も同行をお願いした。


同行M氏のマイカーに便乗して、国道438号線を南下して、「道の駅ことなみ」の駐車場へ着いた8:45同行I(急遽、7歳の子息も同行)の到着を待って約15km、所要予定時間6時間の歩きを開始する。


表記は(417):標高、9:20-9:25:-発時刻、608:通算歩数としました。


引き続き、Vol.179-2/5をご覧ください。