<Today's word>ぬるま湯は、入っていて気持ちの良いものではない。
出ると寒いから一人では、なかなか出られないものである。
<Flower arrangement>
<どう捉え、どう考えるべきか> 組織のベクトルを…、行動が変われば…。
今報は、<再掲:寸言>の第2回「組織のベクトルを…、行動が変われば…。」です。
(1)組織のベクトルを合わせるためのリーダーの役割
社員一人ひとりが感情の面でも態度の面でも生き生きと仕事ができる状態をつくり、心理面での成果を上げることが、業績の成果、人間関係での成果に繋がります。「指導する」を比率で言えば、技術的側面に要するエネルギーは全体の25%ほどで、残りの75%は人間的側面に費やされるべきであり、指導することの本来的な意味なのである。コミュニケーションの仕組みと、それを円滑にするための「場づくり」が重要となるのである。
(2)行動が変われば意識が変わる
意識革新からスタートするステップでは、最初のハードルが高過ぎて、現実にはなかなか成功しない。そもそも、そんなに簡単に意識を革新できるであれば、問題が深刻化する前に何らかの手を打てるはずであるが、意識革新ができなくて、にっちもさっちもいかなくなる。ではどうするか、意識革新の前に「行動革新」のステップを置き、行動を変えることからスタートする手法が成功のコツとなる。つまり、行動革新→意識革新→能力革新→習慣革新という流れで、自己革新を促すのである。
背景や補足の詳細は№3/3に記載しました。
<新居宮池とWalking & Pottering風景から聞こえるのは…>
<This flower>ウォーキングコースに咲く小菊
開花時期は、10/20 ~ 12/20頃で、東洋で最も古くからある鑑賞植物らしい。平安時代に中国から渡来し、改良が重ねられ多くの品種がある。
「菊」の漢字は、散らばった米を1ヶ所に集めるの意で、菊の花弁を米に見立てたもので、漢名の「菊」は”究極、最終”を意味し、一年の一番終わりに咲くことから名づけられた。
中国では菊は不老長寿の薬効があるとされ、陰暦の9月9日(重陽の節句)には菊酒を飲み長寿の祈願をした。これがしだいに日本にも伝わり、菊の花を酒に浮かべて飲み花を鑑賞する「重陽の宴」が催されるようになった。
のちに菊は皇室の紋章になり、日本の国花になった。
花の盛りは11月だが、冬になっても「残菊、晩菊」というサブネームで咲き続ける。これらはだいたい小菊のことだが、野性味の濃い小菊は寒さには強く、冬になっても咲いているので「冬菊」とも、寒気の中で咲いているので「寒菊」とも呼ぶ。しかし、年を越える頃にはやはり枯れてしまう →「枯れ菊」になる。小菊の花言葉は「真実、元気」である。
山名<こくぞうさん>・みどり<番外>・里山の番号<66>
所在地<さぬき市大川町>・標高<194>M
---≫山歩き出会い<0>人・登山記帳<済>
再登山へ勝手な想い度<★★★☆☆>
虚空蔵山の名称は、虚空蔵菩薩を祀っていることに由来するとか。
この菩薩は広大無辺の智恵・功徳を蔵し、すべての人々に利益を与え、もろもろの願いを聞き入れ成就させるという。そのため古くから信仰されており、わが国には養老二(718)年、大安寺道慈(どうじ)によって唐よりもたらされ、弘法大師へと相承された。
弘法大師が四国行脚の際、この地に立ち寄ったとの由来もあり、弘化二(1845)年、当地の庄屋宅に集まった人々は四国八十八カ所を勧誘せんことを相談し、小豆島の石工の協力も得て、石仏の建立を発願した。
そして嘉永二(1849)年、札所ごとに開眼、大供養を行ったことが資料に残っている。心身を煩わせ悩ませる一切の妄念、いわゆる百八の煩悩を払うため、「火祭り」もこのころ始まったようだ。
毎年8月25日に山頂までの登山道に火が燈される火祭りが行われるが、県下唯一といわれ、一見に値する行事である。
また、この山にはミニ版の88ヶ所霊場が設置されており、登山道にはいたるところに石仏が安置され、手入れもされている。
尚、「虚空蔵山」という名の山は全国に15座あるらしい。
JRのレールとマイチャリンコで訪れた。自宅を5:15出発し、虚空蔵山の登山口に7:50に到着した。登山口に戻ったのが9:15であった。
その後、雨滝山へマイチャリンコで向かった。次報でご案内します。
一般的な登山口である阿条谷地区の1番札所霊山寺の横にある階段から始まり、あとは石仏沿いの山道を登った。
▼遊歩道案内板、石灯篭
引き続き、Vol.157-2/3をご覧ください。