「瞬く間に時は過ぎ、私たちは飛び去ります」は、旧約聖書・詩篇90篇の表現にある。
年齢によって時間のたつ速さがどう違うかを、フランスの心理学者ピエール・ジャネが公式で示した。
「人生のある時期の一定時間の心理的長さは、その人の暦年齢に反比例する」
つまり60歳の時に感じる時間の長さは、その人の10歳の時の1/6になるという事である。
また、孔子の思想を採り入れてシラーが詠んだ詩が、ベートーベン作曲の第九交響曲第四楽章の歌詞になっている。
「時の歩みは三重である。未来はためらいつつ近づき、現在は矢のように早く飛び去り、過去は永久に静かに立っている。シラーの詩のように、人生は一瞬なのかも知れない。」
静かに立つ過去の中には辛かったものがあっても、それを今の自分を作ってくれた事を忘れないのが大事だなぁ~と、つくづくと想うのである。
新居宮池の今朝の日の出顔と、小生の塀の垣根に咲いているフイリツルニチニチソウ(斑入蔓日日草)です。
斑入蔓日日草は、キョウチクトウ科の多年草で春から初夏にかけ、青紫色の花を咲かせ、葉に白い斑がきれいな品種である。
今報から、新シリーズ「JR四国シリーズ・香川県内駅」として、JR四国の香川県内の駅舎とホームとその周辺を16回のシリーズで案内します。
香川県内には有人・無人を合わせ48の駅(ホーム)が有るが順次、紹介する事にします。
まずは、高松駅からスタートして、予讃線を南下して行きます。
高松駅は、1897年(明治30年)2月21日に讃岐鉄道の駅として開業してから1910年までの13年間余り、高松駅は現在地からおよそ1.3KM南西にあり、通称「西浜ステーション」と呼ばれていた。高松港と本州・岡山県を結ぶ鉄道連絡船は1897年頃に讃岐鉄道汽船会社によって三蟠港(現・岡山市中区)間が運行され始め、1903年には山陽汽船によって本格的な運行が始まった。しかし、三蟠港から岡山駅までの乗り換えが多く不便であったため、港を本州側上陸最短の宇野港へ変更した上で鉄道を敷設し、その開通を以って1910年(明治43年)6月12日に宇高航路が開かれた。四国側の高松港でも鉄道連絡の利便性を向上させるべく、高松駅の場所をより港に近くする必要があったため、1910年(明治43年)に浜ノ町に新高松駅が開業した。新駅舎への移転にあたって線路も当時の海岸線沿いを高松港へ向かう現在のルートに変更されて、その終点に新駅舎が建設された。
駅舎の変遷 初代(1897~1910年):上段左、2代目(1910~1959年):上段右、
3代目(1959~1999年):下段左、仮舎(1999~2001)、4代目(2001~現在):下段右
瀬戸大橋線開業以前は、到着列車はすべて上り列車となり、出発列車はすべて下り列車となっていたが、瀬戸大橋線開業で下り列車の到着、上り列車の発車が生まれた。現在の4代目駅舎が完成した後の2008年6月1日、自動改札機が設置された。
高松駅周辺は、高松港頭地区など付近一帯は「サンポート高松」(vol.26/11-01-10紹介済み)として再開発されており、高松港へ続く駅北側にはオフィスビル、高松サンポート合同庁舎、多数の高層マンションが所狭しと、林立している。
また、駅前広場に面して四国最大級のシティホテルである全日空ホテルクレメント高松、高さ151Mの高松シンボルタワー、高松港旅客ターミナルビルなどの高層ビル群が立ち並んでいる。JR四国の本社もこの地区に存在する。高松の繁華街はことでん瓦町駅周辺だが、高松駅周辺が新たな商業・業務拠点となりつつある。
--今報了--