角地(すみじ)秋乃です。
何度か、「身長ネガティブ・コンプレックス」 について書いてきましたが。
ようやく最終回、なのかなぁ。
木偶の坊 という言葉を、
小さい頃、「木偶の 棒 」
つまり、役に立たない無駄に長い棒
イコール自分だと思っていました。
だから、「背が高いね」と相手が褒めてくれても、
「ムダに背が高い約立たずだね!」と変換してしまう。
だから過剰に反応する。
「バレーかバスケをやっていたの?」
→ やってない私は「木偶の棒」だ。
身長のことにふれてほしくないから、
バレーもバスケもやりたくない。
「わぁ、モデルになれる身長やねぇ」
→モデルでない私は「木偶の棒」だ。
このサイズではおしゃれな服なんてないし(当時)、
それができないんだから、おしゃれなんて嫌いだ!!
それをやりたいかやりたくないか、ではなく、
相手(おとな)の言葉を重く受け止めすぎていた。
最初に「木偶の坊」だと私に言ったのが誰だったのか、分からない。
たぶん、小学生にありがちな冗談だったのかもしれない。
(オーバーオールを着ていっただけで
「ノッポさんだ!」とはやし立てるのが小学生……。)
もしかしたら、単に私の思い込みや勘違いなのかも。
7月7日のスターゲートに行く前夜に
「木偶の棒」イコール 身長コンプレックスの根源だと気づいて。
銀河からのエネルギーは始まる前から届いているんだなぁと、感謝したよ。
自分は「木偶の棒」であるという潜在意識に気づけたから。
人の役に立ちたい、ではなく、
人の役に立たないといけない、なんて辛い。
「〇〇みたいだ」とイメージを押し付けられたように感じて、
自分のやりたいことの選択肢を狭めるなんて、ナンセンス。
中学や高校で、
バレーボールやバスケットボールも楽しめていたら、
頂の景色 とか、パス回しに特化したプレイとか、
もっと楽しめただろうに……。
とはいえ、高校入学から早20年。
気づけてよかった、潜在意識。
昨日も「背ェ高いねぇ!」とオバチャン数人に言われたけど、
『この人たちは「木偶の棒」だと言ってるわけではないんだぁ』
と思うと、平常心でいられた。
少し前は「この人たちは、私を責めている訳ではない」
と自分に言い聞かせていたけれど、
なぜ「責める」という言葉が出てくるのか、
いまいち分かってなかったんだよね。。
もっと頑張れ!って自分責める感じのデク、 でした。
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じゃあ、私にとって「役に立つ」とは、
デク返上のための行動なのかなぁ……?
と、新たな疑問が出てきましたが。
ともかく、
本日7月22日夕方、神戸三宮でフリーハグやります!!