いるだけでいいなあ
阪神淡大震災から26年目となる17日の新聞に、大好きだった祖母をなくした今井雄大さん(当時 小学校2年生)がその年の夏休みに書いた作文(読書感想文)が紹介されていました。
あの日の朝の驚きはいまも忘れられません。亡くなられた方々には「ご冥福をお祈りします」としか声をかけられませんが、「記憶」「思い出」「思うこと」「懐かしむこと」が生きることの大きな支えであり、これからもずっとともに生きていくということなのだと思います。「日常」がいかに尊いかを教え続けられています。
「ばあばがいるといいのにな」
本やさんで、「おばあちゃんがいるといいのにな」を見つけた時、ぼくと同じ気持ちだなと思ったよ。
ぼくのばあばは一月十七日の阪神大しんさいで家が全かいで死んでしまった。ぼくは、ばあばがとても大すきだった。君もおばあちゃんの事が大すきだよね。本を読んでいると君のおばあちゃんとぼくのばあばはとてもよくにていたよ。
君のおばあちゃんはいつも家にいてむかえてくれるけれど、ぼくはいっしょに住んでいないから、家にあそびに来て、ぼくが学校から帰ってくると、「おかえり。手をあらっておやつをたべ」とばあばの声がするとすごくうれしいんだ。おやつを食べながら学校の話をすると、ニコニコわらって聞いていてくれるんだ。
君もお母さんにおこられるとおばあちゃんのそばにいくんだね。ぼくもお母さんにおこられて、ばあばの家にとまりに行くと、「お母さんを、おこらせないようにね」と言って、両手いっぱいに買物をしてきて、ぼくのすきなごはんをつくってくれるんだ。
君のおばあちゃんのまえかけには、まつぼっくりやどんぐりがいっぱい入っているんだね。ばあばの家のタンスには、おり紙がたくさんあるんだ。夜、おそくまでばあばといっしょに、ちぎり絵をしたりおり紙をおってあそぶんだ。いろいろ教えてくれるんだよ。ねる時は、いつも本を読んでくれるんだよ。暑い夜はうちわで、ぼくがねるまであおいでくれるんだ。
おばあちゃんって、いるだけでいいなあ、って書いていたけれど、ぼくも本当にそうだなって思ったよ。おばあちゃんっているだけでいいんだよね。「おばあちゃん」ってよんだときにへんじをしてくれるだけでいいんだよね。ぼくは学校から帰るとばあばのしゃ真に話をするよ。ばあばのしゃ真はいつもぼくたちに見せてくれていたニコニコ笑っている顔だけどへんじはしてくれないよ。とってもかなしくてさびしいよ。生きていて、おばあちゃんって、君の気持ちわかるよ。じしんの日、夜おそく、ばあばはおふとんの上にねかされていた。ろうそくの光の中の顔はいつもと同じだった。
「ばあば」ってよんだらへんじをしてくれそうだったよ。
「きれいな顔でよかったね」ってみんなが言ったけどぼくはけがをしていても生きていてほしかったよ。ばあばの白いほねを見た時、心の中で言ってやった。
「かみさまのばか。いじわる。ばあばはいつもやさしくて大すきだったのに、どうしてつれていったんだ。じしんなんか、かみさまなんか大きらいだ」なみだがいっぱいでたよ。
今、ばあばの家はこわして、じいじが、毎日土をたがやして、花をいっぱいつくってる。そして、仏だんにかざっているよ。ぼくも思うよ。おばあちゃんがいるといい。家の中にでーんと一人おばあちゃんがいるといいって。
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■陶彩画 草場一壽 公式サイト http://kusaba-kazuhisa.com/
これは、草場さんのメッセージを引用させていただきました。
読んだ後に感じる気持ち…
「いてくれるだけでいい」
誰にでも言えることですよね。
最近は、自殺志願者が多く、
自分の命さえ、大事に出来なくなってきている。
でも、「いてくれるだけでいい」
亡くなってしまうと、悲しむ人が増える。
自分自身も、悲しくなる。
だから、
「いてくれるだけでいい」
「生きていてくれるだけでいい」
「あなたがいるだけでいい」
1人でいるのは、寂しくても、
あなたがいることで、素敵な時間を過ごすことが出来る。
苦しみや悲しみも、楽しいこと、嬉しいことも、もっと話しましょう。
きっと、気持ちが軽くなります✨
そして、明日への希望になりますからね。
幸せになるために生まれてきたんだからね❤️