ここ数日、私のこのブログへのアクセス数が10倍から30倍ぐらいアクセスされている。
アクセスされた記事を表示すると、1記事1回ずつ、異なる人がアクセスしている、と出ている。
インターネット、Webアプリエンジニアの私としては、
「これは、誰か(のシステム)がAI・人工知能を学習するための情報を収集している」と推測する。
このブログも長く書いているので、過去に遡ると記事数は多いが・・・はたして、AIの役に立つのかどうか?
変なこと、悪用されないことだけを祈る。
私が生きづらさを感じて、さまざまな学びを通して、
今はfloweringセラピー®での学びが大きく、
「今ここ」を生きるということで、自分のこと、周りの人のことが見えるようになってきた。
自分を遡っていくと、20代の私は大学で人工知能関連の研究(といっても後追いでやってた感が大きいが・・・)活動をしていた頃まで遡る、と今思い出した。
当時の私は、「人工知能」というキラキラした未来を自分も創るぞ!と思って、
コンピュータに学習をさせるようなことをしていた。
今の手法とあまり変わりはない。
コンピュータが当時は未だ脆弱で高価で、今のような人工知能はできていなかった。
さらに、インターネットが当時は一般的ではなかったので、情報はネット上に求められなかった。
・・・話をしたいポイントはそこじゃなくて・・・
私は人工知能を工学的(コンピュータ的)な視点でみていたが、
当時の流行もあり、「人工生命」という分野もあったりして、
「人工知能を人の仕組み、生物の仕組みから学び、モデル化して、、そこから人工的な知能・生命を創ろう!」
という研究がされていた。
今の人工知能も、脳神経細胞の動きをモデル化し、それが何億、何兆もの細胞の組み合わせを擬似的にコンピュータ上に作り、学習させることは変わりないように思う。(当時と違うのはコンピュータの性能とインターネットの規模の大きさ)
そういう頃から、「心」「情動」などというキーワードも人工知能研究の横に出てきていたと記憶している。
私がその20代の頃、人工知能関連で感動して覚えている話がいくつかある。
ひとつは、MITの当時の教授「ロドニー・ブルックス」教授のサブサンプション・アーキテクチャ(SA)。
(カタカナで書くとなんかダサい?)
SAは自律ロボットの構造、設計手法。
このSA的な考え方から、自律的に動くロボットの開発が活発化したといわれている。
「SA的な考え方」とは次のようにロボットに行わせる行動を階層的に優先度をつけて制御させる。
たとえば、スターチ地点からゴール地点へ向かうロボットの場合、
3. できるだけ速く目的地へ到着するようにする。
2. 目的地へ向かう方向へ進む
1. モノや人にぶつからない
と設計・製作し、1を最優先させて、次に2を優先、そして3を行う。
速くゴールに到着するよりも、人にぶつからないことの方が重要だし、それができるからこそ適切なロボットの行動と言える。
SAを元にしたロボットとして身近なのは、お掃除ロボットだろう。
(ブルック氏も知能ロボットの会社を経営している。)
今年、私は犬飼ターボさんの「センターピース(CP)」を受講することにした。
(CPそのものを学ぶことも目的だが、
多くの人と関わること、人とのコミュニケーションをもっとよくしたいと思うし、そのトレーニングに良いと判断して受講を決めた。)
そのCPでは、人工知能とは無縁だが、
1.「安心感」
2.「つながり感」
3.「自己肯定感」
この3つを基礎として「階段ルート」と呼ばれる行動を推奨している。
このとき、いきなり「自己肯定感」ではなく、まず「安心感」だという。
ここからはCPの1日集中講座受講の私の記憶やら、ほかで聞いたことなど、
少々CP的でない情報も混ざっているかも?ですが・・・
我々は幼少時からの経験の中で「安心感」をなくして生きていて、生きづらい状態になっているのかもしれない。
その中で「自己肯定感を上げよう」と世の中で言われるようになったが、うまくいく人といかない人がいる。
それをターボさんがどうやら優先順位がある、と気付かれたようだ。
私としては、「そうなのかもしれないな」と自分を振り返って感じるし、これまでCPの知識を見聞きして感じてはいる。
今後、本格的に受講して、これからもう少しはっきり学んで、そして、実体験としても学びたいところだ。
SAとCPを比較するものじゃないが、人を観察し、モデル化すること、
その中からわかる「人間」や人が「学ぶこと」「認知や記憶」という部分を知り、生活に取り入れることは同じで、
SAはロボットや人工知能に、CPは人のコミュニケーションに活用しているということだ。
長い前置きのようになったが・・・😅
CPの中で「安心感」「つながり感」「自己肯定感」に優先順位がある、と見極めたターボさんはすごい!と思うし、
同様に、
最近私は、とくに自分自身の経験として、近くのモノに眼を向ける、意識を向けることを学んでいる。
floweringセラピー®の「今ここ」ももちろんその通りだが、
その「今ここ」がようやくわかってきたから、
さらに「今を大切に生きる」、
逆にいえば「あまり遠くを見過ぎない」ことの重要性のような、そういうことに気づいてきた、最近やっと。
ひとつ前のブログでも書いたように、
ソフトウェア開発の仕事をしているが、開発が進み、役目が終わるようで、今の職場での仕事は5月末までになるようだ。
嫌な同僚と離れられるのは良いが、やっと慣れた職場を離れ、また仕事を探すのは厄介だとも思った。
以前の私ならさらに右往左往していたかもしれない。とくに、また収入が絶たれたことについて。
今は結構落ち着いている。
「嫌な同僚を卒業できることは、今の私がある程度その同僚とのコミュニケーションで学ぶべきことが学べた証拠」
などと勝手に思っている、、、実際学びも多かった。
私の愛読書
フローレンス・S・シン著
「The game of life and how to play it」(人生を開く心の法則)
の中には次の言葉がある:
「すべての人は私の善の鎖の黄金の環です」
この本の中では、ある女性がいて、その女性に貧しい思考の同僚男性がいて、女性は男性の悪影響を感じ、彼を嫌っていたのだが、この言葉から、「この男性は私の善と繁栄のためにここにいる」と考えるようにした。そうしたら、この男性をとおして、ある女性と知り合い、その女性から富があった(サービスを高額で購入してくれた)、男性は遠くへ引越し、女性から調和的に消えた、とあります。
私がこの本のエピソードほどのことができたかわかりませんが、、
私も嫌な同僚を最初は受け入れられなかったのですが、
同僚への味方は自分の対応を自分で観て、行動を改めるようにしたつもりです。
ゆえに、卒業となったなら嬉しい限りです。
随分、話があっちこっちへと「よもやま話」炸裂な感じになりましたが・・・
floweringセラピー®の「今ここ」を生きるようになり、
「今ここ」から自分や他人を見られるようになり、
過去に学んだことともつながり、、、
いろいろ見えてきた、分かってきた、、と充実している感じです。
とはいえ、よく調子に乗ってコケる私😅
これからも地道に自分を見つめ、自分に気づき、自分を愛して、他人を愛していきたい。
そんな今日この頃。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
(話途中になった部分もあったかも。また改めて。とくに人工知能分野と私なことは・・・。)