①より続く
50歳になる1年ほど前、旅行で福島県の大内宿へ行った時のこと、坂道は歩けないので初めて車いすを借りたことをきっかけに、車に積んでおけば便利だと考え、手押しの車いすを購入し、旅行や買物時などに車いすを使用するようになりました。手や腕の力も落ちていたので妻に押してもらい、車からの積み下ろしもできませんので単独で出かけることはできません。職場では車いすは使わずに杖で歩いていましたが、転ぶことも増えてきてきました。
50歳、外では職場を除いては車いす、家の中では歩いていたが立つ時に机などにつかまらなくては立てなくなる。東日本大震災発生、節電、足元が不安で歩くのが怖かったことを今でも思い出します。
53歳、職場などで何度も転ぶようになり上司と相談し、職場でも車いすを使用することになる。駐車場で車から車いすの積み下ろしをオフィスの方たちに手伝ってもらった。おかげで大変助かりました。
54歳、お風呂の浴槽が跨げなくなり、シャワーのみになったが、真冬は浴室がかなり寒くなるので石油ファンヒーターで1時間ほど温めてから入っていました。
55歳、家の中でしか歩かなくなったことで筋力の低下が進んだのか、足を使っての車の運転が難しくなり、手動運転装置を取り付けました。
56歳、自力で立つことが困難となり、妻にお尻を上げてもらい、台などに手をついて腕の力で立ち上がるようになった。車の運転席から立てなくなり、車いすの座面に手をついて移乗するようになりました。
57歳、車いすから車の運転席へ立っての移乗が困難になり始め、フルタイムでの勤務も大変になり、通勤から在宅勤務になりました。
58歳、車いすから立つことができなくなり、ボードを使って車の運転席へ移乗するようになった。家の中でも1日1回立つことが精一杯となり、着替えは座ってするようになりました。
そして8月に59歳になった今年、ついに立つことができなくなりました。と同時に歩くことが完全にできなくなったということです。
できれば来年60歳までは歩きたいと思っていたので残念な気持ちはありますが、病気の診断から約40年、自分でもよくがんばってきたものだと思います。それも周りの様々な人たちが支えてくれたからだと、感謝の気持ちでいっぱいです。
これからは完全に車いすの生活になりますが、様々な人たちの支えによって送る人生になることに変わりはありません。
筋ジス人生はまだまだ旅の途中です・・・・