【調和が生まれる環境】


日常生活の中で、子どもの観察に徹していると、集中現象・完了サインをよく見かけます。

着替えの時、食事や遊びの中。あらゆる場面で、年齢ごとの敏感期が見られます。

これらを感じとり、意識的に観察し、最善の一言を子どもに伝えるためには、私たち保育者が「環境の一部」であることを深く認識し、それに徹することです。

保育者だからと前へ前へ出ようとせず、環境の一部として静かにそこに居るのです。 

保育者は、子どもの発達にぴったりな存在として、そこに居る人的環境であるのです。

この人的環境により、子どもたちの魅力は開花することもあれば、閉ざされてしまうこともあります。

それほど重要だということを十分に認識し子どもの前に登場すると、ある時、子どもやクラスが、地に足のついたように安定し始めるのを感じると思います。

人的環境がすべての土台です。

そこに、物的環境が合わさることで、より保育に調和が生まれます。

いくら素敵な環境でも、そこに居る保育者によって、その環境は生きもしますし死にもします。ちょっと表現が過激かもしれませんが、これは事実です。

保育と環境の関係性を見つめるには、保育者としての自分の在り方を見つめることが一番の近道であり、確実です。 

 「保育は子どもが主体である」というのは、子どもを取り巻く環境もひとつひとつが主体であるということです。優先度に差はなく、すべてが最重要事項です。

それらを根底で支えているのが、保育者です。

モンテッソーリでは、保育者が目立たなすぎるゆえに、何をしているかよく分からないと言う人もいます。

確かにそうです。

保育者が、観察というサポートに徹しているからこそです。それは、物理的なサポートを超えたサポートです。

この観察の技能は素晴らしいです。

身につけることで多くの奇跡を目の当たりにします。




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〜モンテッソーリの環境構成〜

https://aki-nakasone.amebaownd.com/pages/6370671/static


『子どもの真の理解者』になる。

モンテッソーリは大人(オトナ)のものです。

子どもはすでにパーフェクトです。

それを取り囲む大人が子どもの真の理解者であること。

そのためにモンテッソーリがあると思っております。

大人こそモンテッソーリなのです。

私たち大人が「正常化した姿」で子どもの前に存在すること。

(モンテッソーリ用語:「本来の姿」という意味です。)


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【意図的に生きるAvatar®Course 

ふつうの私が「本当」な気がする方へ進んだ先に出会った意識を意図的に使う方法を学ぶアバターコース。自分の意識の始まりから、自分自身のことをしっかり深く学んでいける。もちろん色んな技術も身につく。自分自身が子どもを見る目、人間を見る目を変えてくれるような、変革につながるトレーニング。とにかくいろんな方に知ってほしいトレーニングです。


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モンテッソーリ教育が100倍分かるようになるアバターコース

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