小学校4年頃、小倉の父の元へ引き取られてすぐ頃から、誰からの指示かはわからないが牛乳と健康飲料の配達のバイトをやらされた。
朝の5時くらいに起きて、住んでた団地の中を階段を昇り降りしながら、決してたくましいとは言えないやせ細った体で、両腕に10本ずつを行ったり来たり、上ったりおりたり、雨の日も毎日。
筋トレや健康維持の為と言えば聞こえはいいが、そうでもない。
バイト代は給食費や授業料に回っていたのか、たいした小遣いは貰った記憶は無い。
中学生になってからは、更にそれに新聞配達も加わった。朝は4時起き。
この頃、剣道を習わされてたので、そういう事にも余計なお金がかかってただろうし。
学校へ行く頃にはへとへと。
家事の手伝いも半端ではなかった。
小学校4年から、家事ひととおりはさせられていた。
朝は家族全員の布団あげ、もちろん親達のも。(いまでも、これは許せない)
学校から帰れば掃除機かけ、拭き掃除、買い物、米とぎ、夜は食器洗い、ぬか味噌混ぜ、風呂の準備、
反抗すると、剣道の竹刀をバラした1本の竹のむちでひっぱたかれていた。
夜は洗濯。
これが一番辛かった。
洗濯機はベランダに有ったので冬場は凍えそうな寒さ、もちろん自動なわけが無く、洗剤の節約のため、何回もバケツへの移し替え、脱水と、長いと2時間くらいかかった。
なので、冬場ははいつもしもやけ。
ゴム手袋を買ってはくれたが、指が腫れすぎて入らなかったのを無理やり突っ込んでたので、夜中は痛くてしょうがなかった。
安物の手袋だとすぐに穴が空くし。。
あかぎれには雪の下という葉っぱやアロエをつけさせられてた。
おまけに、剣道をやってたので、小手をはめるとかなりの拷問状態…
他にも、畑仕事。きゅうり、なす、おくら、トマト、にがうり等々。
耕しから種まき、水やり、収穫と一年中。
兄が一緒にいた数年は兄と分担で良かったが、
兄が中学を卒業してすぐ自衛隊にいったので、これらの家事はすべて私に来た。
今から思えば、お陰様でやわなお嬢様よりは家事に長けてると思う。
では、家の人(父の最新の妻)は何をやってたのか? という疑問。
低血圧で動けないと、いつもゴロゴロ寝てた。 もちろん、父が家にいる時は違うが、影日向のある人だった。
こんな生活だったので学校から帰って遊ぶ時間やテレビを見る時間などほとんど無く、当然友達も少なかった。
手がいつも荒れてて、やせ細り、
無口で暗い少年だった。
嘘の様な本当の話…
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