息子はTwitterをやっていた。
学校では、自分を出すのが苦手で友達も多くなかった。絵を描くことは大好きで、美術部に入り、それを楽しみに学校へ通っていた。でも、部活以外はあまり友達と会話することは少なかったようだ。
そんな息子がいつのまにか、Twitterで友達を作れていることを知った。学校とは違って、大好きなイラストを自ら共有でき、大好きなゲームの話で盛り上がり、同じ嗜好を持つ人たちと共感し、励まし合えていた。
それまで息子のことを心配していたけど、知らないうちに、仲間を作り、互いに通じ合えていることが、自分のことのように嬉しくて、、安堵していた。そんな息子を温かく見守りたいと思っていた。
あの日までは…
数日後、私は息子のスマホを開いた。息子は前日まで、イラストのことでフォロワーさんとやり取りしていた。
「〇〇さん、いつもありがとう」
「今度、〇〇さんのために描くね」
息子らしい内容だった。
フォロワーの皆さんには、息子の死と生前のお礼を伝えた。すると100件以上もの温かいコメントを頂けた。その中には泣きながらメッセージを録音して届けてくれた方もいた。
息子の日常を消してしまった自分が許せなくて、息が詰まるほど泣いた。
仲間との繋がり、喜びや楽しさを見つけられた場所で、これからもっと成長して欲しかった。将来は、大好きなイラストやゲームに関わる仕事をしたいとも言っていた。自分の能力を活かせる仕事につきたいと。
息子には希望があった。
それは私の未来だった。
君がくれた未来…
でも、描いていた未来は一変し、目に映るのは枯れた世界。
時は止まることなく、やがて春がくる。
まだ見ぬ春。
喜びや祝福が飛び交う季節に、花咲く桜を喜び、空を見上げることなんて、私はできるのだろうか。
何のために生きていくのか…
この先を生きる意味は、まだ分からない。
いつか迎えがくる日まで、きっと分からない。
生きる意味、
それは「生まれた」こと。
生きる「今」があるということ。
今、私は生きている
未来のことは分からない。
この先、未来に何が残せるのか、何のために生きていくのか、答えの出ないことにずっと苦しみ、悩み続けていくのだろう。
愛おしい息子とともに、
ずっと未来へ…
