息子はいつも学校から帰ると、決まった場所でゲームをしたり、絵を描いたり、動画を見ていたりしていた。仕事を終えると、「パパ、パパ」ってよく話しかけてくれていた。


「今度、〇〇に行こうよ」

「これやってよ」

「それどうやるの?」


欲しいものがあるときは、少し遠慮しながら恥ずかしそうな素振りで話していた。


家の手伝いをお願いしたら、始めは「えー」と言いながらも必ずやってくれた。仕事で忙しい時は、毎日のように寝る前に皿洗いをしてくれた。


猫が膝の上で寝ていると、起きるまで立ちあがろうとしなかった。夜もよく布団の中で一緒に眠っていた。


そんな情景が、つい昨日のことのように思えたりもする。沢山の笑顔と優しさ、愛嬌を与えてもらって前へ進んできた。


もう後戻りできないと想うと、

涙を抑えきれない



あの日から変わらない暗闇。


私にとって、

この闇を耐え抜いていくために必要なこと


「逃げる」

「隠す」


四六時中、悲しさや悔しさ、自責や後悔で埋め尽くされると、立っていられないから。きっと心は壊れるから。


ある時は思い出さない、考えないようにして、無理やり頭の奥の方へ隠す。なんとか自分を誤魔化しながら、心を保つしかない。


それでも、その反動に襲われることがある。

急に目の前が闇に包まれてしまう


瞼に浮かぶあの恐ろしい光景

静かに目を閉じたままの姿


一気に心が重くなり、動けなくなってしまう。


私の中には、ずっと二人の自分がいる。


穏やかを求める自分

裁かれるべきと考える自分


たまに、あの光景が遠い過去のように思えることがある。残酷な目に合わせたこと、無力で助けられなかったこと、それらの罪が薄れていくような錯覚さえ覚えてしまう。いつか忘れてしまうのではないか、そんな自分が怖くなる…


穏やかに過ごせたらいいと思う反面、普通に自由に生きようとしている罪悪感。


相反する二人。


人間は本能的に、少しずつ、苦しみを排除しようとするのだろうか。それでいいのか…



艱難辛苦という言葉がある。


かんなんしんく【艱難辛苦】

つらい目や困難な目に

あって苦しみ悩むこと。

たいへんな苦労。


子どもを亡くされた方は、誰もがそのように思う。有り得ない、辛すぎる、死にたくなるような目に遭い、苦しみながら、労わりながら、生きている。


私はまだ迷路を彷徨いながら、考えたり、悩んだりして、進んだり、戻ったり、立ち止まったりしているように思える。


この先に何があるのか

この世の行方はどうなるのか…


まだ先のことが分からない。

それでも、ここで出会えたブログの皆さんの有難いお言葉の中に、何か答えがあるような、そんな気がする。


だから…

今は苦しくても息をするんだ。