四ヶ月経ちました。
息子のいない月日を数えていくことに虚しさを感じます。
四十九日に供えた胡蝶蘭が、今もずっと花を咲かせ続けています。とても長く咲いていることに驚かされます。いずれは枯れるのでしょうが、その時は悲しくなるのでしょうね…
あれから涙を流す回数は減りましたが、心の中には重りのようなものがあり続け、どこか息苦しく、痛みのようなものを感じます。
世界の果てにいるような気分…
頭では分かっている自分、心では納得できない自分、この先も二人の自分と生きていくのだろうと思います。自分が自分でないような。
仕事中は、心に蓋をしてなるべく考えないようにします。それでも、ちょっとしたことや、ふとした時に涙が零れ出します。少し前に、異動する人の挨拶を聞いただけで、なぜか涙が流れてしまいました。誰ひとり泣いていないのに。。
職場では、未来の創造、キャリア実現、自己改革などの言葉が飛び交います。どれも聞きたくない言葉です。全く気力がわかず、最小限のことしかできません。
それでも人と会話する時は無理に演じるしかなく、ひどく疲れます。すぐに頭が痛くなります。仕事を終えた後や休日は、その反動のせいなのか動けなくなります。このまま仕事を続けられるのか、続けてよいのか、分からなくなります…。
息子を喪って、人がいつ死ぬか分からないことを身をもって知りました。命の尊さ、儚さ、存在の意味を知るのに、あまりに大きな代償を払ってしまいました…
あれから死について考えたり、意識することが多くなったと思いますが、私がいつ命尽きてもいいようにと、エンディングノートを書いておくことにしました。
(死のうと思っている訳ではありません)
死があるから生がある
死は生の終わり
死に向かって生きていく
人はみんな死ぬのだから、
息子に逢えるその日のために
