あれから3ヶ月が過ぎた。
義弟さんに頂いたお菓子、団子。
それと大好きなカービィ小説新刊を買ってあげて供えた。
「何か」をやっているときは、涙を流すことが減った。それは仕事であったり、買い物であったり、掃除であったり。以前のように、朝から晩まで涙に暮れることはなくなった。
でも変わらず、心の奥にずっしりとした重いものがあり続け、あの日のことが一日に何度か頭を過ぎる。あの日起きたこと、目に焼きついた光景は頭から離れることはない。
守れなかった罪、目の前にいない哀しみ、未来への恐怖と不安が、頭の中を一気に塗り替え、急激に胸を締め付ける。悔しさが込み上げてこぶしに力が入る、涙が流れ出す。
こんなことを繰り返して、
生きるしかないのでしょうね…
もしあのとき、私自身の命を諦めていたら
息子と共に逝けたのだろうか…
そう思わずにはいられない
人は意味の領域に生きている。
現実をそれ自体として経験するのではなく、それに意味を与えて、何か解釈されたものとして、体験する。愛する息子を喪くしてしまい、様々な意味が変わってしまったように思える。
「食べる」意味は何か
活きるために食べるのか?
いや、死ねないから仕方なく食べるのだろう…
「眠る」意味は何か
明日のために眠るのか?
いや、現実から目を背けるため眠るのだろう…
「時」を刻む意味は何か
息子の成長を数えるためではなく、息子のいない日を一生数えていくのだろう…
本当にこれでいいのだろうか。
前へ踏み出しているのだろうか。
生きがいなんていうものは、あの日から消え失せた。どこを向いて進んでいけばいいのか。何を頼りに生きていけばいいのか。
いくら時が経っても信じることができない。息子のいない世を生きることが考えられない。心が折れそうになってしまう。
なんだか自分が分からなくなってしまう。
私は誰なんだろう…
虚しく時だけが過ぎていく
君を隠して…
ねぇ…何処にいる…?
私はここにいるよ