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文球院昭彦の今更日記

「俺、こんなことも知らなかったのか、知らずにおめおめと生きてきたのか!」
と今更ながら目からうろこの物語。

(四十四) 猪突もまだまだ右往左往

 

さすがは猪突猛進、昨年暮れにあちこちで猪が出没してフライングだと騒がれていましたが、平成最後の年もあっという間に過ぎてあと二か月余残すのみ。祖父母と父は明治・大正・昭和の激動の三代を生き、母は更に平成を加えた四代を生きて凄いなあと思っていた文球院も、昭和・平成・○○と、新元号を迎えそうです。

 

文球院はイノシシとの思い出はほとんどありませんが、新宿西都心の開発がようやく始まって、京王プラザホテルが建設中の頃の青梅街道の突き当りに、「やまくじら」と書かれた大きな看板があり、気になって我慢出来ずにある日天下りしてきた大先輩に尋ねたのです。 「君は岐阜生まれだろう。やまくじらも知らんのか。百聞は一見に如かず」と連れていかれ、そこで思ったほど臭みもないイノシシの肉を御馳走になったのです。 「岐阜だって、柳ケ瀬近くにはイノシシは出ませんよ」と見栄をはってはみたものの無視されて、御馳走になっている間ずっと話を聞き続けることになったのです。

「江戸時代の五代将軍の生類憐みの令は知っているよね。 四つ足の動物の殺生と肉を食することを禁じられた庶民は、さまざまな抜け道を考えて『符丁』で呼ぶことで影の呼び名をつけて、ご禁制の無理難題を胡麻化して乗り切ったんだよ。 猪肉は「牡丹」とか「やまくじら」、馬は「桜」で鹿は「紅葉」。二足の鳥はなぜか禁じられなかったので、その名残で今でも兎を数えるのに一羽,二羽と鳥扱いにしたんだよ」 恐れ入りました。御馳走さま。 やまくじら屋で目からウロコ……

 

イノシシが家畜化されたのが豚になったそうで、中国語では「野猪」(イエ・チュー)が猪で、豚は「一猪」(イートーチュー)。 中国語を知らない文球院には「ちょっとだけイノシシよ」と勝手に翻訳して納得?してしまいます。 そういえば子供のころ読んだ「西遊記」に出て来て、大活躍する三蔵法師の弟子の一人「猪八戒」(ちょはっかい)の挿絵は明らかに「豚」。 前世は天河の天蓬元帥(てんぽうげんすい)が豚に生まれ変わったのだそうです。

 

文球院は生れてから高校を卒業するまで、父の仕事の関係で岐阜・名古屋と濃尾平野で過ごしました。この濃尾平野一帯に、真冬に吹き降ろしてくる真っ白な雪を覆った滋賀県との境界にある伊吹山からの寒風が「伊吹颪(いぶきおろし)」。 地域の校歌や応援歌の一節によく使われ、小学校に通い始める前の幼少時には、文球院の手足は真冬には霜焼けが崩れてしまって、今でもその傷跡がはっきり残っています。

その伊吹山を守護する神が「白猪」。 日本最古の歴史書の「古事記」に登場してきます。

 

熊祖(くまそ・九州南部)征伐にはじまり、東国を次々に征服してきたヤマトタケル(倭建命・日本武尊)は、須佐之男命(スサノオノミコト)が出雲で倒したヤマタノオロチの尾から出てきた剣を譲り受けて大活躍。 途中、今の静岡県で敵に周りを火攻めにされた時、この剣で草を薙いで逆に火をつけて逆襲して難を逃れ、後に「草薙の剣」と呼ばれ、今でも草薙や焼津という地名が残っています。

今の愛知県までやって来たヤマトタケルは、婚約していた土地の豪族の娘「美夜受比売」(みやずひめ)

と結婚。 伊吹山の白猪などたいしたものではないと軽く見て、素手で闘うと草薙の剣を姫に預けたまま伊吹山に遠征。 牛ほどの白猪に逢っても「どうせお前は神の使者だから帰るときにでも殺せばよかろう」と無視。 実は白猪は神の化身で、怒って大氷雨を降らし、あまりの寒さにヤマトタケルは失神。

それが原因で病の身となり、なんとかたどり着いた場所が「熊煩野」(のぼの 三重県亀山市)で、その時足は三重に腫れあがって亡くなってしまうのである。三重県はこの記述から名付けられたなんて、隣県に二十年近くも住みながらもう、目からうろこが落ちました。

 

伊勢神宮にある八咫鏡(やたのかがみ)・皇居にある八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)と共に、もうすぐ行われる皇位継承の象徴である三種の神器の一つである草那藝之太刀(くさなぎのたち)が、なぜ高校生の文球院が初詣に出かけた名古屋の熱田神宮に祀られているのか不思議でしたが、あっという間に未亡人になった美夜受比売が、ヤマトタケルの分身として近くの熱田に祀ったからで、古事記が712年に太安万侶(おおのやすまろ)が編纂したのは知っていても、白いイノシシのことなどはこの年齢で初めて知りましたから、受験勉強した日本史など今更ながら、殆ど何も役に立たないと痛感。

 

前回「右往左往」を読んでくれた人から、「右大臣と左大臣はどちらが地位が高いのだっけ?」と唐突に聞かれ、文球院は得意になってこう答えたのです。 「右に出る者はいない、という常套句があるくらいだから右大臣だと思いますよ……」

そう言ってはみたものの不安になって調べてみたら、正解は「左大臣」。 天皇の左側に座しているのが左大臣で、天皇の補佐をする「摂政」「関白」にもなれるほど。 その左大臣を補佐し、時には代行するのが「右大臣」。 ところが対座してひれ伏している臣下から見ると、左大臣は天皇の右側に座しているので、「右に出る者はいない」と「左大臣」のことを指していたのですから参りました。 

 

あと一か月で新元号が発表されますが、大化から始まって平成まで247代続いた次の元号を、どのように予想されていますか? 大正から昭和に元号が変わるとき、東京日日新聞(毎日新聞)が大スクープして号外で流した「光文事件」。 後日「光文」と決めていたが情報が漏洩したので急遽「昭和」に変更したと書かれた書物もあって、もしかしたら文球院は昭和生まれではなく、光文生まれだったのかもしれません。

アルファベットのMTSHという表記以外で、二文字で、画数が多くなく、誰にでも読み書きが出来、今まで使われず、俗用されていないもの………学識者たちは「安」とか「永」という文字が使われる可能性が高いと言っていますが、どちらも文球院には新鮮さに欠け、しっくりしません。

 

ネット上でも「こんな年号はいやだ」と「夢眠」「綾鷹」「純愛」「指原」「文春」「介護」などが並んでおり、思わず笑ってしまいますが、中には「安」の字ならお手のもの、決定権がある内閣総理大臣が「安晋」とか「安倍」とかに、しれーっとして閣議決定も有りじゃない?!などという冗談には、さすがに笑えませんでした。

 

「永光」「安延」「弘徳」「文弘」「安久」「安永」「永和」「永安」と学識者等が予測する候補も、中国の史書からの二文字採用が圧倒的に多い中、国語学者の金田一秀穂さんが「百花繚乱」から、それぞれの人が尊重され、花を咲かせる時代にとの思いで付けた「繚花(りょうか)」という新元号が、文球院の一番のお気に入りなのですが……「繚」の字は15画を超えています。 書くには難し過ぎるのが難??

 

(2019・2・27)