(二十一) 赤バット・青バット・夢のまた夢 | 文球院昭彦の今更日記

文球院昭彦の今更日記

「俺、こんなことも知らなかったのか、知らずにおめおめと生きてきたのか!」
と今更ながら目からうろこの物語。

(二十一) 赤バット・青バット・夢のまた夢



川上哲治氏が亡くなった。
スポーツが今ほど多様化されていなかった頃、「みんな野球が好きだった!」と言っても過言ではない時代の「象徴」が消えた……。
文球院が物心つき始めた頃の大東亜戦争開戦の年、昭和16年(1941)に、すでにプロ野球選手。  巨人の優勝に貢献し、首位打者・打点王・最高殊勲選手に輝いていた。
多くのプロ野球の選手が軍隊に動員された中、立川飛行隊所属・川上少尉が誕生。そして戦後間もなく昭和21年(1946)には中止されていたプロ野球が復活して、再度大活躍が始まったのである。


テレビ放送は無くとも、川上の使用する「赤バット」と、彗星の如く現れ当時では驚異的な20本のホームラン王となったセネターズの大下弘の使用する「青バット」。 岐阜のガキ大将たちもみんな知っていたのが不思議だけれど、学校で2~3人しか皮のグラブを持たず、布で手製のグラブか素手が当たり前。バットは適当に木を削ったものか丈夫な枝を振りまわし、電信棒やら大きめの石を塁に見立てた三角ベースで夢中になり、最後はアウトかセーフで大ゲンカをしていた頃のお話・・・セネターズ(後に東急フライヤーズ⇒急映⇒東急⇒東映⇒日拓ホーム⇒日本ハム)の本拠地が東京・杉並区の「上井草球場」・・・以前杉並区に住んでいた頃、すでに東京都の貯水池になっており、その跡地に野球場が造られ今は「上井草総合運動場」と呼ばれている。若き日そのグラウンドで草野球を楽しんだこともあり、昔昔あそこで我らが憧れの青バットが・・・なんて今頃になって目からウロコの感激・・・。 今では「木目」が見えないバットの使用は禁止されていますから、ペンキを塗りたてたような華やかな色のバットはもう誰も使えません。



「ボールが止まって見えた」と絶好調の赤バットは後日有名になったコメントを残し、片や天才青バットは7打数7安打を記録した時、「昨夜飲み過ぎて、ボールがいくつにも見えた」とコメント。赤と青の華やかな対称のようなこのコメントを、文球院は忘れられない。その大下氏は昭和54年(1979)56歳の若さで亡くなり、戒名は『慈球院青打弘文居士』。野球少年は、もしこんな墓碑をどこかで見つけたら、「アッ、青バットだ!!」ってすぐワカリマス。


さて、今では当たり前の「ナイター・ゲーム」は、日本ではいつ、どこで始まったのでしょう???

「ルー・ゲーリッグ メモリアル スタジアム」 戦後間もない昭和23年(1948)8月17日の東京巨人軍対中日ドラゴンズの試合・・・と言われてもピンとこない・・・

場所は横浜。現在の「横浜スタジアム」。「横浜公園平和球場」の名で親しまれてきた球場は、終戦後に米軍に接収された時に命名?されたものらしい。

戦前ベーブ・ルースと一緒に日本にやってきて、戦死した「沢村栄治投手」とも闘い、岐阜の野球少年も名前だけは知っていた「ルー・ゲーリッグ」。 「鉄の馬」と称えられ、広島カープの衣笠選手が記録を打ち立てるまで、誰にも破られることはないだろうと言われた2130試合連続出場の大記録を持ちながら、現役中に突然「筋委縮性側索硬化症」(ALS)で倒れ、思うように動けなくなり惜しまれて引退。昭和16年(1941)に亡くなった人の名を称えて進駐軍は名を冠したのだろう。ALSは別名アメリカでは「ルー・ゲーリッグ病」とも呼ぶらしい・・・



その日本初のナイターでは、不思議な伝聞があって、赤バット川上の打球があまりにも速くて、どこへ飛んだのか誰もわからぬまま消えてしまった・・・というのである。今のような照明ではなかったにせよ、赤バットのすごさが、まことしやかに語り継がれている・・



監督として不滅の9連覇を成し遂げた偉業はもう誰にも破られないだろうが、さすがの赤バットも現役最後の2年間は、「テキサスの哲」と揶揄されるほどに、内・外野の間にフラフラと落ちるポテンヒットが多くなり、3割を打てなくなった上に、入団直後の長嶋選手に4番を譲り6番に降格して引退を決意。

「テキサス云々」の由来は、本場アメリカでマイナーであったテキサスリーグの選手たちが、守備もあまり上手くない上に風も強く、内・外野の間にポトリと落ちる安打が多かったため、「ポテンヒット」のことを「テキサスリーガーズヒット」と揶揄していた。テキサスがどこにあるのかも、その由来も知らなかったが「テキサス安打」がどんな安打のことを言うのか、昔の野球好きは知っていた!!!



川上哲治氏が亡くなってコメントを求められた熊本工の後輩で、今年惜しまれて引退する天才打者と言われた前田智徳選手が、「大先輩にコメントは難しいが、ただ、教えられたことはずっと守り続けてまいりました」と語り、文球院は思わず納得したのである。

「無駄になる努力はない」「疲れるまで練習するのは普通の人。倒れるまで練習しても並のプロ。このままでは倒れるというレベルを超え、我を忘れて練習する。つまり三昧境(無我の境地)に入った人が、本当のプロだ」 赤バットは現役の時は石を磨いて我を忘れ、監督時代には座禅三昧で無我の境地を求めた人の「訓えの言葉」


まさに、文字通りの『巨星墜つ!!』   ご冥福を祈ります。



(2013・12・3)