「真の自立」へ向けて(レインボーギャザリングの思い出) | ミタクエオヤシン

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ミタクエ・オヤシンとはネイティブ・アメリカン、ラコタ族の言葉で「私に繋がる全てのもの」という意味です。
だから、みんなつながっていこうね!

日々日常、非日常、音楽、映画、宇宙、スピリチュアル・・・などを綴ります。

明日7月4日はアメリカ合衆国の独立記念日です。

 

もう何回もこの時期に書いてしまうのですが、また書きます(笑)

 

それはレインボーギャザリングの思い出です。

 

 

まずはレインボーギャザリングがどういうものなのかは、こちらをどうぞ♪

 

ぼくは93年と95年の2回、レインボーギャザリングに行った。
場所はケンタッキー州、そしてワイオミング州。

アメリカ滞在中に2回もレインボーギャザリングに参加したことが 、ぼくにとってはカルチャーショックでもあり、「音」でみんながつながっていけることを体験出来て、自分の内面の変化のきっかけになった。

レインボーギャザリングは7月4日の独立記念日を境に約1週間の間、毎年場所を変えておこなわれる。それも1971年からずっと毎年続いている。

ケンタッキー州のときは、NYから友人たち4人とワゴンで行き、山の中を探し回り着いたとたん、まるでここはあのウッドストックかと思わんばかりのヒッピー軍団を目の前にカルチャーショックを受けた。
だってみんな素っ裸で歩いてるんだよ。中には体に泥を全身にぬってニコニコ歩いている人もいたり。
そこら中にコミューンがあって、そこら中でみんなタイコ叩いたり踊ったり。
お金は使えず、物々交換。いたるところにキッチンがあり、携帯お皿とカップを持ってれば食べ物は供給してくれる。
夜にはメインサークルで大きな焚き火を焚き、夜通し数千人がタイコを叩いて踊り明かす。
ステージはどこにもない・・・。
これが一週間続く・・・。

ぼくはその頃はまだマンドリンにもインディアン・フルートにも出会っていなかった。
ブルックリンのアフリカ人から購入したアシッコというジャンベに似たコーン型の板を張り合わせたタイコとマンハッタンの楽器屋で買ったフレームドラムがぼくの楽器たちだった。
いっしょに行ったウィリアムとぼくは、1日中いろんなコミュを回ってジャムをした。

そして毎日夜明けまでタイコを叩いた。
夜が明けるといつのまにかみんな自分のテントやティピに帰っていった。

ぼくはこのレインボーギャザリングでの体験を通して自分の中の何かが少しだけ開いたような気がした。

そして一番学んだことは、SHARE、つまり分かち合いの心。

ああ、もっと大事なことを忘れていた。

それはLOVE
だれもが穏やかで微笑んでいて、そこの場が愛というエネルギーに満たされていた。
みんながほんとうにつながっていて兄弟姉妹なんだと思った。

ぼくは少しだけ60年代後半のあのフラワームーブメントがなぜ起こったのかわかるような気がした。

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今思うと、なぜぼくはアメリカに行ったのだろう。
いや行ったつもりが、いつのまにか住んでいたわけで(笑)

そして、レインボーギャザリングという素敵なイベントにも行くことができた。
ある意味、自分の人生観に影響を与えてくれた体験だった。

まさに自然の中で暮らすことの大切さを思い起こすような・・・。
まあ1週間ほど滞在しただけだけど、多くの学びがあった。

この体験がもとになって、ぼくはコミュニティーの重要性を学んだ。
元々興味があった縄文的な精神というか心、そしてそれは縄文文明と呼んでもいいほどであり、1万年以上もの間、争いもすることなく暮らしていたのだから、縄文人は高度な精神性を伴っていたに違いない。

その精神性はこの日本では失われたのだろうか?
いや、その和の精神というべき心は、ぼくたちのDNAにちゃんと刻み込まれているはずなのだ。

ぼくたちは本来、この母なる大地、地球という星と共生してきたのだ。
世界でも数少なくはなっているが、先住民と呼ばれる人々は、皆同じように自然を敬い、畏敬の念とともに、質素に暮らしている。

レインボーギャザリングでは、初めてスウェットロッジ体験をした。
それはネイティブ・アメリカンが古来より続けてきた浄化の儀式。



そしてみんなで食べ物を分かち合いながら、夜は焚き火を囲み、太鼓を叩き、歌い踊る。
おそらく縄文人も同じような生活だったのだろう。


ぼくはこの貴重な体験で、その縄文DNAが少し呼び覚まされたのかもしれない。

そうそう言い忘れたが、レインボーギャザリングの発端は、この予言に基づいているらしい。

“虹の家族”というのは、ネイティブアメリカンの「母なる地球が破壊の危機にさらされた時、虹の色をした多くの民族からなる“虹の家族”が、地球に再び緑を取り戻すために集う」という予言にある言葉からきている。




・・・あれから20年以上経っている。

今、こうして自然の中で田舎暮らしを始めたのも偶然ではないのかもしれない。

 

 

新たに書こうとしたら、書きたいことがほとんど以前の日記と同じだったので転載させてもらいました(^▽^;)

 

ぼくはこのレインボーギャザリングの貴重な体験が、今の自分のベースになっていると思うのです。

先日の「夏至の祈り」でも最後にみんなでドンジャカしましたが、これもレインボーでも体験が元になっています。

 

 

アメリカでは、去年の大統領選挙以降、不正投票によって勝利したバイデンが表向きは大統領として居座っていますが、実際のところ、彼はDS(ディープステート)に操られるままなのです。

水面下で動いているトランプと同盟軍は、いまだ地下の掃討作戦も継続中のようで、アメリカを共和国へと戻す動きにも目が離せませんが、それよりも、現在進行中の課題は世界に蔓延るコロナ騒動とワクチン接種から、いかに身を守っていくか・・・

 

そしてまさに地球市民にかけられた洗脳という魔術から、ぼくたちはどうのように目覚めていくかの瀬戸際の状態が今なのだと思うのです。

 

それには、「真の自立」しかないのです。

 

これも以前の記事からになりますが、抜粋します。

 

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☆真の自立とは

星名さんはこういった横文字の錯覚をいろいろと自分なりに検証した。

「たとえばフォトンベルトと言われていることは、私なりの用語では宇宙の春分点のことを言っているのではないかと思うのです。
今、精神世界のことに関心を寄せる人々がどんどん多くなっていると言うことは、その宇宙の春分点に近づいているからなのだと思います。

人間は自然界に置き換えると種みたいなもので、元々、幸せの種、喜びの種、平和の種を宿していて、春分点に近づけば、自然に発芽するのではないかと思います。

だから、なにも心配する必要はないのではないかと思うのです。

もちろん遅咲き早咲きはあるとは思いますし、なかなか実らない種もあるかもしれませんので油断は禁物ですが(笑)
みんな春分点に近づけば、自然に目覚めが起きてくるのだと思います。

だから何かを勝ち取って平和にならなければいけない、
幸せにならなければいけないということではなく、
本来の自分が花咲くことを許せば、みんな「なる」と確信しています。

植物だったら、適当な水とか温度とか特別な環境がないと発芽できないのですが、
人間の素晴らしい点は、それを待っていなくても自分の意識の力でそこに到達できるということなのです。

つまり、自分の中に喜びの種があって、平和の種があって、
勝ち取る必要もなく、
それが本質の自分なんだなと気づけば、
そうじゃない自分と言うのは、全部外からの刷り込みなんだ、

じゃあこういう自分は本当の自分じゃないのだから、
タマネギの皮をむくようにひとつひとつ剥ぎ取っていけば、
素の自分、本質の自分に到達できるんだということがわかるわけです。

そうして本質の自分を思い出すことが、真の自立ということにつながっているのだと思います。

だから、そういう人がたくさん増えていけば、自然に日本は平和になっていくし、
世界が平和になっていく、そして地上楽土が実現する、
変な政治家に頼らなくても(笑)ひとりひとりの力で平和な国ができるんじゃないかと思ってます。

それが私の考えている「真の自立とは」ということなのです。
 

 

 

 

ちなみに7月4日は日曜日になるためか東京都議会選挙も行われます。

なんか偶然とはいえ、意味深ですね。

 

 

というわけで、あいかわらず長くなってしまいましたが、

 

明日はそれぞれ個人の

 

独立記念日

 

ということで

 

よろしくっ~♪(^O^)

 

 

追伸

 

ウェイクアップコールが鳴ってるよ~♪

そろそろ起きようぜぃ(^O^)