記憶の音Ⅰ(民族楽器とシンセ) | ミタクエオヤシン

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日々日常、非日常、音楽、映画、宇宙、スピリチュアル・・・などを綴ります。

 

ぼくが民族音楽に出会ったのは、やはり最初は60年代後期のビートルズを筆頭にしたサイケデリック・ムーヴメントだろう。
当時はビートルズの影響が大きいと思うが、ロックの中にインド音楽の影響がかなりみられた。その独特なギターみたいだけど、全然違う音色にぼくは魅せられた。
それにタブラという聞いた事もないタイコの音に…。

そのうちに民族楽器が入ってなくても、時々その曲で聞かれる独特な旋律(スケール)にも興味をもった。

後にそれらはインドやアラブ、ケルト音楽に元々あるトラディッショナルなスケールだということがわかってきた。
このテーマを話し始めたらきりがないので、またいずれ書くことにするが、そういう民族音楽に少しずつのめり込みながらも、ぼくはシンセサイザーというこれもまた聴いたこともない不思議な音色にも魅せられた。

今でこそ、コンピューターが普及して誰でもシンセの音を身軽に使えるし、楽器として、当たり前のごとくシンセサイザーは市民権を得ているが、当時はまだまだ知名度は低かった。

シンセサイザーとは元々、合成するという意味で、そのもとである音源はオシレーターで、その発信器からのノイズを生成加工して音色へと成り立たせていく。
もちろん電気というエネルギーがなくては音は出ないが…。

その違いは大きいといえば当たり前なのだが、自分の中ではその機械文明の最先端として誕生したシンセサイザーという楽器と、古代文明の伝統として受け継がれてきた民族楽器は同じ位置にあるのだ。

だから僕には民族楽器は特別ではないし、古典楽器でもない。
今でこそ、ワールドミュージックというジャンルが確立し、クラブ系の音楽の中にも民族楽器が使われているので、そういう意味では民族楽器も市民権を得たなと思う。
ジャンベ、ディジュリドゥ、シタール、タブラ、それにアジアの胡弓、三味線etc
まさに様々な楽器が今の音楽にはいっている。まあそれはサンプリング音源の普及も大きいのだが。

そうそうところでぼくはなにを言いたくて書いたのかわからなくなってきたが…。
それにエッセイみたいになってるし(いつもの事か…)、つまり自分が音楽を通して伝えていきたいことは、民族楽器やそのスケールを使ったりしているが、伝統音楽をやろうとしているわけではなく、ギター、ピアノ、ベース、ドラムなどの楽器の延長として民族楽器やシンセなどのエレクトロニクスを使って「今」の音楽をやっていきたいのだ。
そしてDNAに眠っている「記憶の音」を呼び覚まし、伝えていけたらと思っている。

ああ…これが言いたいことでした。