これはサイケデリック体験のお話…。
その日、ぼくは聖なる儀式の数時間前、大切な録音機材(DAT)がこわれてしまった。
ここNYでは、すぐに直すことはできない…。
それが、ぼくの記憶ハードディスクにメモリーされていたからだろうか?
その儀式から数十分後、ぼくはいわゆるバット・トリップをした。
ぼくは気付いたら集積回路のような壁の中にいた。
それはまるで、基盤の回路の中の棺おけに閉じ込められているようだった。
ぼくはもがいた。
苦しかった…。
ここから一生出られないような恐怖感にさいなまれた。
おそらく苦し紛れに助けを求める声を出していたのだろう。
気がつかなかったのだが、その部屋にはぼくひとりだと思っていたのだが、友人のユミちゃんとニックも休んでいた。
おそらく苦しがっているぼくを心配したのだろう。
ユミちゃんが、ぼくのそばに来て一言「だいじょうぶ?」と心配そうに声をかけてくれた。
そのときだ!!
ふしぎとその声の主が女神様のように、その棺おけの中に響き渡った。
まるで愛の波動がぼくのからだに注ぎ込まれたかのように…。
そしてその瞬間、ぼくは一気にその基盤の棺おけから脱出して、ぼくのからだはどんどん上昇していった。
・・・・・・・・・
気がついたらぼくは、月のそばにまできていた。
しかし地球が美しいなんて思うひまはない。
ふたたび一気にからだは上昇していった。
それは光速というのだろうか?
気がついたらぼくの下に宇宙があった…。
その光景にぼくはやっと「美しい」と感じる余裕ができた。
ぼくはどこにいるのだろう?
下?に見えるのはほんとうに宇宙なのだろうか?
しかしぼくは1パーセントの不安感もなかった。
その空間にやさしくつつまれ、ぼくは揺らいでいた。
しばらくして、ふと気付くとぼくのすぐそばに小舟が浮いていた。
それはまるで水面に浮かぶ舟のようだった。
ぼくを助けようとしたのだろうか?
その小舟にははっきりとは見えないのだが、ふたりの存在を感じた。
しばらくするとそのひとりの姿が少し見えてきた…。
・・・・・・・・・・
ここで、みなさんはどんな存在を期待するだろうか?
天使?女神?キリスト?仏陀?それとも宇宙人?
残念ながら?どれも違う…。
その存在のお姿は…
あれれ~!!!
なんとブリキのロボットだった!!
いやいやもちろんロボットではない…
それはまるでオズの魔法使いに登場するブリキのきこりのような存在だった。
そのときは思わなかったが、今その存在をOZと名づけよう。
OZはやさしくぼくに手を差し伸べてくれた。
まるで海面に浮いているぼくを小舟に引き上げるように…。
そしてぼくはそのとき何を話したのか聞いたのか、ぜんぜん記憶にはない。
しかしひとつだけ覚えていることがある。
そのOZが小舟のはるか下方にほんのりと光明を放つその「宇宙」を指差して、
ぼくに言った…。
いや言葉で発したのではない。
ぼくの頭の奥のほうで感じ取ったといったほうがいいかもしれない。
「すべてはゲームなんだよ…」
そのあとのことはまるっきり覚えていないが、ぼくは気付いたらいつのまにかそのブルックリンのデグロー・ストリートのアパートの一室にいた。
・・・・・・・・・・・
昔、イルカの研究で有名なジョン・C・リリーの「意識の中心」を読んだら、彼自ら変性意識状態を体験した中にその状態を表にしていて、バットな状態と至福の状態はベクトルが違うだけで、ある意味同じ状態だと書いていた。
あれだけバットな状態から、友人の「だいじょうぶ?」の一言でぼくは一気に逆のベクトルへ瞬間移動?できたわけだが、その違いが何かといえば「愛」のエネルギーなのではないかと思った。
愛の力は計り知れない…。
宇宙はきっとH2Oと同じようにLOVEという元素記号で成り立っているのだ。
愛こそすべて・・・
となりのリビングからはタイコのリズムがやさしくぼくを誘っていた…。
「おいでおいで!さあみんなでいっしょにあそぼうよ!」
ぼくはタイコの精霊がそう語りかけてきたような気がした…。
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この話は以前mixiに書いた日記です。
実は、ちょっと「愛」についての考察を書こうと思っているのですが、ぼくにとってこの体験はとても重要なイベントだったので、UPしました。