愛についてちょっと語ります。
いや考察します。
ぼくはいわゆる「愛」という文字や言葉はどうも好きになれませんでした。
スピリチュアル系で頻繁に使われる「愛」や「光」という文字。
光はまだいいのですが、なにか愛というのが、天使のような羽が生えてて、全ては善のような世界。
映画「ベルリン天使の詩」に出てくる人間に憧れて3次元に降りてくる元天使?は愛嬌あって好感持てるんですけどね。
無条件の愛とか無償の愛とか・・・。
こんな形容詞が付けば付くほど、何かうそっぽく感じてしまう。
愛は地球を救う?
とか・・・。
「巣食う」なら、まだわかりますけどね(笑)
というのは無責任な想念が地球を被っているわけですから。
まあ言葉ってむずかしいですよね。
もちろん愛が悪いわけではありませんよ!
アママニアの歌詞にも「愛」はよくでてきます(笑)
つまり・・・
「愛」とは純粋なエネルギーだと思うのです。
それは意識でもあります。
前の日記『すべてはゲーム(愛こそすべて)』で体験したように、愛はまさに純粋なエネルギーなのではないかと思うのです。
そこには善も悪もありません。
だから、愛はそのベクトルが下降するとき、それは愛憎になります。
いわゆる愛情という表現がありますが、これほど怖いものはありません。
だって愛のエネルギーがプラスならいいですけど、マイナスになれば、凄まじい憎しみの情念に変貌するのですから(笑)
世の中には「愛」についての本が星の数ほど出回っていると思いますが、ぼくはほとんど読んでいないので、ぼくなりの解釈で書いてますが。
前の日記『すべてはゲーム(愛こそすべて)』を読んでもらいたかったのは、その純粋なエネルギーをリアルに体験したからです。
なにしろ一気に宇宙の果てまで上昇させてくれたのですから。
ところで愛はどこから来るのでしょう?
なんて、いかにもスピリチュアル本によく見る問いかけになっちゃいましたが。
愛がもしエネルギーだとしたら、そのエネルギーはどこから来るのだろうか?
(あ、この書き方の方がちょっとニュートンあたりの科学雑誌っぽくていいかな)
なんでこうして愛の考察を書こうと思ったかと言えば、最近お気に入りの「山田貢司のどこに行くのか?バカボン一家」に書いてあったことに共鳴したからなのです。
愛と憎しみは同義です。
簡単に例えるなら、ニビルの言う愛でさえ、「愛してる?」と相手に訊いた時、それは愛ではなくなります。
僕は子供の頃からそのことを知っていました。
我々は意識体とそれを被う肉体でできています。肉体には脳も含まれます。
意識体には波動に繋がる感情と悠久の記憶が存在します。方や、肉体(脳)には物質として産まれた経験やノウハウが蓄積され、その経験から観念を作ります。
愛とは意識体が持つ感情、記憶です。それを肉体(脳)に転移させると憎しみと似た観念に変わってしまうのです。
愛という感情を観念に変えてはいけません。
そしてこの観念を利用する低級意識体がいます。
今インターネットの世界では愛を装った高次元情報が点在しているようです。平面的で脳に訴える類いです。
感情ではなく愛(憎しみ)の観念を植え付けるのです。
僕も一度その手の意識体と接続したことがありますが、上手に隠した裏側が透けて見えました。
それは宗教と何ら変わりありません。洗脳を解く振りをした洗脳です。
許すだけで見えてくる世界は観念の愛でしかありません。
ジョンレノンがこの世に残していった思いはいまだ健在です。
争いのない共有できる社会はこの思いを実行する以外ないのです。
ほんとうは凄く簡単なことです。こころを使うだけ。
意見の違いも立場の相違もこころを込めて話し合い、何か一つでも接点を見つけ、そこから繋がってゆけばいい。
その繋がりがいずれ共有をもたらす。
社会覚醒にはこの道しかないと僕は感じます。
人類が皆で愛の位置を確認できれば、自然と社会覚醒は始まるはずです。
・・・・・・・・・・・
愛は意識の中心。いわば意識体そのもの。
その感情からは勇気へも続いてゆきます。
(転載終了)
つまり
愛とは意識体が持つ感情、記憶です。
と。そして・・・
愛は意識の中心。いわば意識体そのもの。
その感情からは勇気へも続いてゆきます。
この勇気へも続くということが、愛の意味の根底にある重要な真実のような気がするのです。
愛の力と言うことでしょうか。
愛のエネルギーベクトルが上昇するときには、力が増幅していくのだと思います。
力が満たされれば勇気というエネルギーがチャージされます。
そうそうこの力とは、まさにスターウォーズのジュダイが使いこなすフォースのようなものかもしれません。
ジュダイの騎士はフォースを使いこなすことで、ライトセーバーを操ることができるのですから。
前の日記の最後に
愛の力は計り知れない…。
宇宙はきっとH2Oと同じようにLOVEという元素記号で成り立っているのだ。
愛こそすべて・・・
と書きましたが、水(H2O)は善でも悪でもありません。
たとえば、無色透明の不純物のない精製水は、飲めないわけではないですが、飲む気はしないでしょう。
でもミネラルや鉱物の入った天然水は、それだけで美味しく飲めます。
しかし泥水や、ましてや化学物質の入った汚染水は飲めません。
つまり「愛」というエネルギーも水と同じような媒体なのではないかと思うのです。
だから元素記号はLOVEですかね(笑)
というか元素はエレメントですから、第5のエレメント?
あ、書いてて思わぬ展開!
『フィフス・エレメント』って映画知ってます?
大好きな映画のひとつですが、この映画で言うところの第5のエレメントとは『愛』のことを言っているのですよ!
あのリュック・ベンソンのSF映画です。
映画ご覧になった人はわかると思いますが、
愛は地球を巣食った、いや救ったのですよ!
ああなんかわからなくなってきました(笑)
まあそんなわけで愛についての考察はいろいろとつきないわけですが。
きょうはこんなところです。
また思いついたら書いていきます。
愛は深いですから。
よかったら、気軽にコメントしてくれたらうれしいです。
愛についての意見をいろいろ聞きたいです(-^〇^-)
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最後にジョン・レノンのLOVEをシェアしたいと思います。(フィフス・エレメントもシェアしたいところですが)
山田さんもやっぱりって感じでジョンのことを言ってますよね。
ジョンレノンがこの世に残していった思いはいまだ健在です。
争いのない共有できる社会はこの思いを実行する以外ないのです。
ほんとうは凄く簡単なことです。こころを使うだけ。
意見の違いも立場の相違もこころを込めて話し合い、何か一つでも接点を見つけ、そこから繋がってゆけばいい。
その繋がりがいずれ共有をもたらす。
社会覚醒にはこの道しかないと僕は感じます。
う~ん、イマジンの歌詞にも通ずる気がします。
でもLOVEでいきましょう♪
このLOVEの歌詞は、松尾芭蕉の俳句からインスピレーションを得たらしいです。