きのうはオリオン座流星群のピークだったのに、雨で見れなかったのが残念!
ところで宇宙つながりで、アメリカ人の神話学者ジョゼフ・キャンベルを知っているだろうか?
あの映画「スターウォーズ」も、ジョージ ルーカスがジョゼフ キャンベルの著作を参考にしたと言われるのだが、
ぼくは以前『神話の力』という本を図書館で借りて読んだ。
この本はインタビュー形式で書かれているので、とてもわかりやすいし、
どこを読んでもなぜか心の本質に共振するようなことばかりなので、
ちょっと紹介したいと思う。
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キャンベル:私が一般論として学生たちに言うのは、「自分の至福を追求しなさい」ということです。
自分にとっての無上の喜びを見つけ、恐れずにそれについて行くことです。
モイヤーズ:それは仕事ですか、それとも生活ですか。
キャンベル:もしあなたのしている仕事が、好きで選んだ仕事ならば、それが至福です。
しかし、あなたがある仕事をしたいのに「駄目だ、とてもできっこない」と思っているとしたら、それはあなたを閉じ込めている竜ですよ。
「どうせ、作家になんかなれるわけがない」とか、「いやいや、だれそれがやっていることは、私にはとてもできやしない」とかいうのはね。
モイヤーズ:そう考えてくると、私たちはプロメテウスやイエスのような英雄と違って、世界を救う旅路ではなく、自分を救う旅に出かけるんですね。
キャンベル:しかし、そうすることであなたは世界を救うことになります。いきいきとした人間が世界に生気を与える。
これには疑う余地がありません。生気のない世界は荒れ野です。
人々は、物事を動かしたり、制度を変えたり、指導者を選んだり、そういうことで世界を救えると考えている。
ノー、違うんです!生きた世界ならば、どんな世界でもまっとうな世界です。
必要なのは世界に生命をもたらすこと、そのためのただひとつの道は、自分自身にとっての生命のありかを見つけ、自分がいきいきと生きることです。
(p264-265)
*心の中で「汝は○○をやらねばならない(Thou Shalt)」と睨みを効かしている存在を、キャンベルは「ドラゴン(竜)」と呼ぶ。世界中の英雄神話は、この「心のドラゴン」に立ち向かう象徴としての物語であり、勇気ある冒険に踏み出し、みずからの「至福」を見つけたとき、命は輝き、世界は輝くのだという。
モイヤーズ:至福を追求しているとき、なにか隠れた手に助けられているような感じを受けませんか。私の場合、ときどきそんな気がするんですが。
キャンベル:しょっちゅうです。実に不思議ですね。
いつも見えない手に助けられているものだから、とうとうひとつの迷信を抱いてしまいましたよ。
それは、もし自分の至福を追求するならば、以前からそこにあって私を待っていた一種の軌道に乗ることができる。
そして、いまの自分の生き方こそ、私のあるべき生き方なのだ、というものです。そのことがわかると、自分の至福の領域にいる人々と出会うようになる。
その人たちが、私のために扉を開いてくれる。
心配せず自分の至福を追求せよ、そうしたら思いがけないところで扉が開く、と私は自分に言い聞かせるのです。
(p219)
モイヤーズ:先生は『神話のイメージ』のなかで、変容の中心について、時間という壁が消えて軌跡が現れる神聖な場所について、書いておられる。聖なる場所を持つとは、どういう意味でしょうか。
キャンベル:これは今日すべての人にとって必要不可欠なことです。
今朝の新聞になにが載っていたか、友達はだれなのか、だれに借りがあり、だれに貸しがあるか、そんなことを一切忘れるような場所、ないし1日のうちのひとときがなくてはなりません。
本来の自分、自分の将来の姿を純粋に経験し、引き出すことのできる場所です。
これは創造的な孵化場です。はじめはなにも起こりそうにないかもしれません。
しかし、もしあなたが自分の聖なる場所を持っていて、それを使うなら、いつかなにかが起こることでしょう。
モイヤーズ:この聖なる場所は、平原が狩猟民にもたらしたのと同じものを私たちにもたらす。
キャンベル:彼らにとっては世界全体が聖なる場所でした。
しかし、いまの私たちの生活は、その方向性において非常に実際的、経済的なものになっています。
だからみんな、ある程度の年齢になると、次から次へと目先の用事に追いまくられ、自分がいったいだれなのか、なにをしようとしていていたのか、わからなくなってしまう。
四六時中、しなければならない仕事に追われているのです。あなたにとって至福は、無上の喜びは、どこにあるのか。
あなたはそれを見つけなくてはなりません。
ほかのだれもが見向きもしない古くさい曲でもいいから、とにかく自分が大好きなレコードを聴くとか、あるいは好きな本を読むとか。
(p173)
キャンベル:人々はよく、われわれがみんなが探し求めているのは生きることの意味だ、と言いますね。
でも、ほんとうに求めているのはそれではないでしょう。
人間がほんとうに求めているのは「いま生きているという経験」だと私は思います。(p33)
キャンベル:生きているという経験です。
意味は知性に関わるものです。ひとつの花がある、その意味はなんでしょう。
禅にはブッダの教えについてのこんな話があります。
ブッダは弟子たちの前にただ黙ってひとつの花を持ち上げて見せた。
すると、弟子たちのなかにひとりだけ、ブッダがなにを言おうとしたのかわかったことを目で示した人がいたそうです。
<中略>意味なんてありません。宇宙の意味とはなんでしょう。ノミ一匹の意味とはなんでしょう。
それはただそこにある、あるいはいる。それだけです。
そしてあなた自身の意味とは、あなたがそこにいるということです。
私たちは外にある目的を達成するためにあれやこれやすることに慣れすぎているものだから、内面的な価値を忘れているのです。
「いま生きている」という実感と結びついた無上の喜びを忘れている。それこそ人生で最も大切なものなのに。
(p33-34)
検索していたら、『神話の力』からの抜粋があったので転載させてもらいました。
『ヒロさん日記』http://www.mypress.jp/v2_writers/hirosan/story/?story_id=1413392
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う~ん、ほんと心に染みる~♪
今ぼくたちは神秘の扉を開け、
新しい神話を創造することが一番必要なのではないだろうか・・・。