思い出に残る「ザ・ノンフィクション」(前編) | 賭の虫

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◇あくまでオケラさんの日記帳!内容も表現も自由!言いたい放題、書きたい放題!誰に遠慮することも無く、書きっぱなし言いぱなし!こんなにも人様の事を考えない【自由】過ぎるブログは大嫌いっていう人は 無理してアクセスして来なくて結構です!


『まったく江戸川競艇場も、昨日も今日も後半は中止になることが分かっていて強行開催しているんだからなぁ?
前日から潮回りも風の向きも分かってるんだから、午後は高波になることなんて目に見えてるじゃねーか?

ところで、誰かが私のブログを読んでくれているのです。

昨日も僅か一時間の間に、沢山読んでくれたようです。

詳しく読んでおりませんが、アメブロ様からも「何かを達成」したとかメールが来ておりました。

私も、もっと真剣にブログに取り組まなくては。。。

今日はそんな思いも込めて、真面目にブログに向き合う決意であります。』


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『ところでワタシの右足の腫れですけど、痛みも腫れも少し良くなってきたかと思ったらぶり返してしまって、なかなか腫れも痛みも引かないのです!
相変わらず右足をつけることが出来ないので歩けません!右足に体重がかかると激痛がはしるので、つけられないのです!足を骨折した人が使っているアルミ製の軽量松葉杖って、整形外科に行けば売って貰えるのかしらぁ?
これだけ治りが遅いと、靱帯損傷や疲労骨折を疑いましたが、ネットでいろいろ調べたり、腫れてる部分をネットで検索してみると、腫れている箇所や痛み具合などが一番適合しているのが痛風なんですよねぇ?』






(この矢印の先端部分が赤く腫れていてズキズキ痛むのです)


『ワタシはお風呂場でしたジャンプが原因だとばかり思っていたから?でも、あの程度のジャンプを三回くらいしただけで、こんな症状になるのかしらね?スポーツなんて、何も出来ないじゃない?ワタシのデビデンスの見解が間違っていて、デビエンスにそった治療法を選んでいないから治らないのかしら?』


『馬鹿の一つ覚えみたいに。。
エビフライと勘違いしてんじゃない?意味がわからないなら、使わない方がいいよ!馬鹿なのがバレるから?』


『なによ?
本当に痛くて、まともに眠れないのよ!』


『そういうことじゃなくて、英語の意味もわからないで使ってるから、馬鹿丸出しだって言ってんの!整形外科に行くしかないだろう?』



『足が痛くて車が運転出来ない場合は、救急車で送迎してもらえないかしらぁ?

足の話はこれくらいにして、思い出に残る「ザ・ノンフィクション」をやりたいと思います。

ずいぶん昔の話ですので、内容に間違いがあるかも知れませんが、御了承下さいませ!』



◇ザ・ノンフィクション◇
《愛と家族を求めた旅路》
~幸せのかたちとは?(前編)~


私の家族はバラバラでした。


父の暴力に堪えかねて、母は私が二歳の時に家を出て行きました。それからずっと、父子家庭でした。


私も二十歳の春に、父と二人だけの生活に嫌気がさして家を出ました。


私は将来結婚したら、あたたかい家庭を作るのが夢でした。


私は就職して何年か経った時、久しぶりに父を訪ねました。


(私)『お父さん元気?体は大丈夫なの?』

(父)『俺はお母さんがいなくても、これだけの生活をしているんだ。たいしたもんだろう?』

(私)『お父さん。私、結婚するかも知れないから?』

(父)『俺はお母さんと別れてからも特に困ることもなく、これだけの生活を維持出来ているんだ。たいしたもんだろう?』


久しぶりに会った父は、何も変わっておりませんでした。

自分の自慢ばかりで、私のことなど微塵も興味がありませんでした。


その後、私は本当の家族の愛を求めて、バリ人の第二夫人として嫁ぎました。


私はニョマンさんの嫁として、バリ島のテガララン村に渡ったのです。彼には既にバリ人の奥さんと、その間にもうけた二人の娘さんがおりました。


私は以前からバリ島が好きで、何度も訪れておりました。

一人目の恋人はラフティングのイントラでした。激しい恋に落ちたのですが、結局はその彼にお金を目当てにされていたことが分かり別れてしまいました。


そんな私を慰めてくれたのが現在の夫のニョマンでした。


遠いバリ島でしかも第二夫人。当然、私の母は大反対でした。


まわりの人達の反対を押し切っての結婚でした。


そのとき私は、すでに妊娠していたのです。


私を結婚に踏み切らせたニョマンの言葉。

「僕は君を愛している。家族も大事だ。愛する人みんなと幸せに暮らせばいいじゃないか!」


そんな彼の言葉を信じて第一夫人の許可をもらいに彼の家へ行きました。

当然、第一夫人のマデは驚きました。

そして言葉を失い、顔面蒼白になりました。


でもバリは、男性優位の社会です。マデは夫に逆らうことは出来ませんでした。


結局私は、その家の第二夫人として迎えられることになりました。


それからというもの、マデの怒りは私に向けられました。

私が仕事から帰って来ると、ベッドは切り裂かれ、部屋にはウンチをまかれ、パソコンにもウンチをかけられ、ケーブルは全て切られておりました。

仕事から帰って来ると、ウンチまみれになっている部屋とパソコンを掃除するのが、毎日の日課になりました。


本当に毎日が辛かった。マデのキツイ目線に怯えながらの、荒んだ日々でした。


一つ屋根の下に二人の夫人がいるのだからしょうがない。。。

私はそう自分に言い聞かせて、我慢しておりました。


日本人の妻をもらったバリ人の男たちは、お金を当てにして働かなくなる人が多いそうです。


ニョマンも例外ではなく、私と結婚するや否や、働いていたホテルを辞め、最初は家の畑仕事をしておりましたが、それも他人にまかせるようになり、毎日ブラブラするようになってしまいました。


一家の収入は、私が美術館で稼いでくるお金(約6000円)のみになってしまいました。


私さんの蓄えは、家の改修、第一夫人の子供の学費、親戚の法事と夫にせがまれ、その度に大金をつぎ込んだ為、底をついてしまいました。



そこで私は、金銭的に父を頼ろうとしました。孫が生まれたので会わせたいからと父に電話をかけ、バリに会いに来てもらえないか頼んでみました。


父は快く承諾してくれました。


私は孫と夫と父の四人で食事をする計画を立てました。


そして父が、遥々日本からやって来ました。久しぶりに会った父は、旅の疲れもあったのか少し苛ついておりました。



そこで事件が起こります。

事前に夫に今日のことは言っておいたのですが、いつまでたっても夫が帰って来ません。


わざわざ日本からやって来たのに、義父を待たせるとは何て失礼な奴なんだ!と、父は怒りだしてしまいました。私はそんな父に謝り続けました。


それから三時間後、遊び疲れた夫はやっと帰って来ました。


父はいきなり、私と夫に怒鳴りつけました。


(私)『お父さん、本当にごめんなさい!』

(父)『ふざけるなー!

こっちは、わざわざ遠い日本から遥々来てやったんだー!

待ってるのが普通だろー!こんだけ待たしておいて、謝りもしないのかぁー!お前もお前だ!

こんなろくでなしと結婚なんてしやがって?お前は土人になるつもりなのかぁー!』

(私)『お父さん、それはあまりにも酷いじゃない?彼のことを土人だなんて。。。(泣)』

(父)『兎に角、許して欲しけりゃ、お前ら二人して土下座して謝れ!

さっさと、今すぐ土下座しろ!


お前もやるんだよー!』


怒り狂った父は、土下座している横で立ったままの夫に、そう怒鳴りつけました。


最後まで夫は土下座はしませんでした。私が一緒に謝って欲しいと頼み込むと、父に頭を下げてくれました。


機嫌をなおした父は、夫の母に五千円を渡して帰って行きました。日本円で五千円は、バリでは大金です。母親は大喜びでした。


夫は相変わらず働いてくれません。それどころか、益々私のお金を当てにするようになりました。


それから半年後、私は夫と別れました。短い結婚生活でした。


私は愛と家族を求めて海を渡りました。

私の家族は、幼い時からバラバラでした。両親の喧嘩も絶えませんでした。私は将来結婚したら、あたたかい家庭を作るのが夢でした。

しかし、そんな平凡な幸せすら築くことが出来ませんでした。


私は夫と別れてからも、日本には帰りませんでした。

友達の紹介で、ホテルの土産物店で働き始めました。


~私はこれからも、愛を求めて生きていきます~


(おわり)





『明日も引き続き暇ですので、後編を書こうと思います。』



『なんだよこれ?』


『番組のあらすじを書きたかったの?』



『真剣にブログに向き合うんじゃなかったのかよ?』