私にもチャンスはあった。 | 賭の虫

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◇あくまでオケラさんの日記帳!内容も表現も自由!言いたい放題、書きたい放題!誰に遠慮することも無く、書きっぱなし言いぱなし!こんなにも人様の事を考えない【自由】過ぎるブログは大嫌いっていう人は 無理してアクセスして来なくて結構です!


『ワタシは最近、朝方昔の夢を見ます。ワタシは身バレしたくないので年齢は書きませんが、高校生の時に東武動物公園で松田聖子ちゃんのコンサートを見て感動した思い出があります。そのくらいの年齢です。

高校時代も大学時代も世はバブルでした。

昔の夢を見た後、反省することが多い今日この頃です。

なので、不真面目なギャンブルブログを書く前に、ちょっとだけ昔の話しを書きます。

ワタシは昔からギャンブルが大好きで、孤独に一人でのめり込んでおりました。
でも誰も止めなかったのかと言えば、それは違います。
大学の柔道部の先輩からは説教をされました。
アパートを引き継いだ卓球部の先輩は、わざわざ卒業前にそういう遊びは辞めろと説教をしに来て下さいました。
それには訳がありまして、その先輩の自転車を部屋で預かっていたのですが、その先輩が就職で東京に行くことになり取りに来たのです。ところがワタシがいなかったので、トイレの窓から入って自転車を持って行かれました。その時に、コタツの上に置いてあったワタシが書いた様々なギャンブルにまつわる資料やらノートを見られてしまったのです。
例えば、○月○日は福岡競艇でいくら負けたとか?鳥栖競馬でいくらヤラれたとか?飯塚オートで○月○日から開催があるとか?○月○日は天神から無料バスに乗って唐津に行こうとか?
そんなことをノートやカレンダーの裏に書いてコタツの上に乗せてあったのです。あと部屋中に西日本スポーツが散乱していて、福岡ボートに行って来たことがすぐバレてしまうように赤ペンで結果などが記してありました。あの当時の福岡県のスポーツ新聞は、関東版とは違い一面を競艇欄に割いておりましたからね?専門紙なみの情報量でしたよ!それだけ盛んな土地だったのでしょうね?
その先輩は親からの仕送りは一切貰わないで、奨学金とアルバイトのお金で卒業した真面目な方でした。そのアパートも家賃は、18000円でした。で、台所と六畳の部屋が二部屋ありました。
しかしトイレは汲み取り式で風呂は共同でしたので、そのアパートには二年間おりましたが、その風呂には結局一度も入りませんでした。二日市温泉の側でしたので、毎日街の共同風呂に行っておりました。
ワタシがそのアパートを引き継いだ理由は、敷金・礼金がいらなかったことと、当時もギャンブル中毒でお金がなかった為に少しでも家賃の安いところに引っ越したかったからです。その先輩はそういう人でしたから、そのアパートで四年間過ごしました。その先輩はわざわざワタシに説教をする為に、東京に旅立つ前にあらためて来て下さったのです。
「兎に角ギャンブルはやめろ!もう二度とするな!約束しろ!風俗のような所に行く金が欲しくてやっているのなら、アルバイトをして稼いだ金で行け!」そう言って下さいました。

柔道部の同僚にも言われたことがありました。「従兄弟に競艇選手がいるから、友達でハマっている奴がいることを話したら
、絶対に儲からないから辞めるように説得しろって言われてきたよ!」って言われました。

社会人になってから九州旅行をした時も、ワタシが四年生の時に入っていた賄い付きの下宿で親しくなった家具職人の先輩と酒を呑んだのですが、ワタシが短期間で仕事(印刷会社の営業職)を辞めてしまった事と、今はフリーターをしながらギャンブルにハマっている話しをしたら、ものすごく怒って下さいました。
「お前はまだ、親から仕送りを貰っている学生の分際の時からパチンコやらギャンブルをやっていたよなぁ?
いい加減、ヤメーーーーー!」と、怒鳴って下さいました。

正社員の時は外面を良くしていたので、上司や先輩にそのような説教をされたことはありませんでしたが、転職する間にアルバイトをした所では、正社員の先輩や偉い方にギャンブルだけは辞めるように言われました。
日立ホームテックでホームベーカリーを作っていた(ライン作業)時は、社員旅行・ソフトボール大会・クリスマス会のカラオケにまで参加するほどとけ込んでおりました。契約社員になるように勧めてくれた社員の方がいたのですが、断わったことに対しては「まだ若いしやりたい事があるのなら押し付けられないから!」と仰って下さったのですが、ギャンブル狂であることに対しては「君のような人は足を洗わないと、最後はそれこそ上野か池袋の地下道で寝るようになってしまうよ!本当だからね!」と、忠告して下さいました。私はあの時はまだ二十代でしたので、心の中では「俺が乞食になるわけねーだろう?俺様はこんな工場の職工でおわるような人間じゃねんだよ!」と、心配して言って下さった人に対して生意気な気持ちで話しを聞いておりました。それだけ私が世間知らずで幼かったのです。正社員(そごう外商)の仕事を辞めてから市場の鮪屋に就職するまでに、二つの工場で働きました。ある工場を辞める時は、アルバイトであるにもかかわらず、送別会まで開いて下さいましたし、部長(この部長は最後まで正社員になるように勧めて下さいました)だった方からウイスキーのボトルを頂きました。その箱の中にお手紙が入っいて、「いつまでもフリーターではいけません!ギャンブルは辞めるように!」というような内容の丁寧な文章が書かれておりました。そのお手紙は、今も大切にしまってあります。会社にサラ金から在籍確認の電話が入っていたので、そういうワタシの趣味がバレてしまっていたのです。これは日立ホームテックの時も同じで、会社に在籍確認の電話をされております。当時、すでにアイフルから50万ほどつまんでおりました。
印刷会社の時担当していたビバホームのカード【HIカード(ライフ)】でも借金をしておりました。ビバホームで換金しやすい物(時計・家電)を買って、質屋で売っておりました。そごうにいた時に付き合いで通帳とカードを作らされたのですが、辞めた当時はその中の2枚でも借金をしてしまいました。
当時の東京相和銀行・東海銀行
・富士銀行でしたが、東京相和銀行と富士銀行がカードローン付きのカードでした。作らされた時は審査も何もなかったので
、カードローン付きのカードとは気づきませんでした。まるで交換条件のように、「10人分の通帳作っといてね!」てな感じでした。
勤めている時はまさかカードローン付きのカードとは思わなかったですし、給与振込は印刷会社の時に作った銀行にしてもらっておりましたので、三行とも預金が千円だけ入っているだけで利用しておりませんでした。残高が無くてもカードを逆から挿すとATMからお金が出てくると知ったのは、会社を辞めてギャンブルにハマりだしてからです。ギャンブル中毒の私にとっては、当時はまさに魔法のカードに思えました。(泣)

市場の鮪屋で働いていた時も、社長から散々言われました。
いろいろ誉めても下さいましたが、すぐキレるところとギャンブル癖だけは治すようにと、常に言われておりました。
治さないと、お前を男にしてやれないと言われておりました。

たしか渥美清さんが亡くなられた頃だったと思いますが。。。

(ワタシの昔からのお気に入りの映画は「男はつらいよ」でして、渥美清さんが亡くなられた時は記帳に行って来ました。)

江戸川競艇場の外の小屋で専門紙を売っているおばさんにも、説教されたことがありました。そのおばさんは、女でひとつで三人のお子さんを大学まであげたそうです。あの時はこんなことを言って下さいました。
「私はね、もう10年以上もこうやって朝から新聞売ってるけど、一度も場内には入ったことはないんだよ!競艇には興味もないからね?ただねぇ、私もいろんな人見て来たけど、あなたもまだ若いんだからギャンブルなんて辞めた方がいいよ!今から10年辞めるのと10年続けるのとでは、10年後には偉い差が出来てしまうよ!一年にいくら負けてんの?辞めれば、負けるどころかそのお金を全部貯金出来るんだよ!
私の近所に夫婦で学校の先生をやってた人がいたんだけどね?旦那さんなんて、校長先生までやった人なんだけどね?退職したら、夫婦で毎日パチンコに行くようになっちゃってねぇ?
最後はへんな所からもお金を借りるようになっちゃったらしくてねぇ?
結局借金踏み倒して、夫婦で失踪しちゃったんだよね!退職金もいっぱい貰ったんだろうに、年金もいっぱい貰えていたんだろうに?ギャンブルって、それだけ人を変えてしまうんだよ!
校長先生までやった人が、退職して10年も経たないうちに、そこまで堕ちちゃうんだよ!
悪いこと言わないから、あんたも早く競艇なんて辞めることだね!」このような話しをして下さいました。
昔のブログにその時のことを書いた記憶があります。
ワタシはあの頃は、江戸川に行くとだいたいそのおばさんから専門紙を買っておりました。挨拶程度の会話しかしなかったんですけどね?あの時はそんな話しをして下さったのです。

このような過去の体験を思い出すと、ワタシの事を本当に心配して「ギャンブルは辞めろ!」と忠告して下さった方が、今までに沢山いたのです。

その方々の話しを真剣に聞いていれば、忠告を真剣に聞いて辞める努力をしていれば、このような晩年になることはなかったはずです。
実はチャンスは一度や二度ではありませんでした。多額の過払い金が戻ってきた時も確かにチャンスではありましたが、その前にもワタシには沢山のチャンスがめぐって来ておりました!サラ金の借金をチャラに出来るチャンス!いい所へ転職出来るチャンス!恋愛のチャンス!
そのチャンス、言わば絶好の機会を無にしてしまったのは、言うまでもありません!
ワタシ自信なのです。
何も努力して来ない人生でしたので、せっかくのチャンスがめぐって来ても、自分に自信が無い為に弱気になってしまったり
逃げてしまったりしてしまいました。そして、現実逃避先はいつもギャンブルの世界でした。

最近昔の夢を見て後悔している日々でしたので、その後悔を書いてみました。おわります。』





『いずれとかそのうちじゃなくて、後悔してるなら今やらないと?まさに、今でしょう!』



『それが直ぐ行動出来るような人は、ADHDじゃない普通の人間なのよ!
ワタシのテーマはいつもADHDでしょう?
先延ばし癖のあるADHDで強迫神経症持ちなんだから、そううまくは行かないのよ!

本当は移動スーパーの仕事に就いて、ブログに書く予定だったんだけどなぁ?

今年も江戸川ブログばっかり書いてきてしまったのよねぇ?

まったく江戸川さんも、なんとかしてワタシを本場に来させたいのねぇ?

清埜翔子選手のクオカードを送ってあげたのに本場に来ないからって、今度は清埜翔子選手の年賀状を送ってくるつもりだわねぇ?

逝ってやりたいのはやまやまなんだけど、本当にお金が無いのよ?このまま行ったら、本当に今年で携帯が止められちゃうんだからぁ?

江戸川といえば、数原選手も頑張っているのねぇ?選手としてはダメかなぁ~って思ってたけど、選手で食べていけるレベルまで這い上がって来たわねぇ?今、江戸川を走ってるけど、江戸川のインで逃げれるようになったら、もう一人前だわねぇ?

彼がデビューした日に、ワタシは彼の事をブログに書いたのよねぇ?

(2003年6月13日放送、探偵ナイトスクープ「天才競艇少年現る」で天才競艇少年として出演した数原魁くん6歳。
あれから15年、数原魁君は数原選手(21歳)として2018年11月8日尼崎競艇第2レース予選でプロの競艇選手としてデビューしました。)

同期には西岡成美さんや山崎小葉音さんがいるんだねぇ?

数原君のことも応援に行きたいけれど、ワタシには時間もお金も無いのよ!

まだ携帯が生きているうちに、出来るだけ沢山のブログを書いておかなければ。。。

ワタシはこれでも、いろいろ考えながら書いているのよー?今話題の旬なネタを取り入れたりして、結構時間をかけて書いているのよー?
新田選手が明日から戸田を走ると知れば新田選手との思い出話を書いたり、南野陽子さんが逮捕されれば南野陽子さんをうまく文章の中に取り入れて作ってみたり?

では次から、またワタシの不真面目なブログに戻りたいと思います!◇では、さようなら。』

(江戸川競艇場から来たメールです)
【ボートレース江戸川通信】
毎年恒例の「年賀状キャンペーン」を来年も実施します!
 
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★応募者全員にプレゼント★
2024年賀状をお届けします!
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早いもので、今年も残りわずかとなりました。
皆さまが毎年楽しみにしてくださっている年賀状を来年の元旦も実施したく、これより準備に取りかかりたいと存じます。
 
2024年の元旦にお届けする年賀状は、今年9月に江戸川ヴィーナスシリーズで優勝した女子レーサー・清埜翔子選手の自筆コメント入りです!
 
ご応募の受付は12/7(木)です。

皆さまからの沢山のご応募、お待ち致しております!