185 私が出版した自伝について! | 賭の虫

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『最近人気のあるユーチューブも全く見なくなっちゃったのよねぇ?
一時期ナムさんだのヒカルだのお笑い芸人のなんかを、一日中見てた時もあったんだけどなぁ?ジョーブログも以前は楽しんでたんだけど、もう何ヵ月も見てないんだよなぁ?って、ジョーブログって辞めちゃうの?
たまたまユーチューブ開いたら、ジョーさんがそんなこと言ってたけど!あの人のことだから、ネタはいくらでもあるだろうに。。。
ジョーさんはユーチューブだけじゃなくて、今までの人生でやって来たことを本に書いたらいいのに?
そしたら、ワタシ図書館で借りて来て読むわよ!今は本屋さんで買ってあげるお金がないから。。。
ワタシも本は今までに沢山出して来たんだけどねぇ?』






『私ははホームレス小説【崖っぷちに友あり】を出版した後、気が抜けたように執筆活動から遠ざかっていた。そして晩年になり、知人からの勧めで自伝を書く羽目になった。

自伝というのは大なり小なり臭みがある。
自己顕示欲がなければ自伝なんて書こうと思わないから、
当然のことながら自伝には自慢の数々が陳列されている。
私は生まれながらに発達障害であった。小学生の低学年で強迫性障害を発症し、中学生の時から鬱病と闘って来た。
高校生の時に盗癖症を発症し浪人時代にギャンブル依存性を発症した。もともと毒親育ちのアダルトチルドレンであった。
小学二年の時、都会から田舎町に引っ越して来て、小学三年の時に父親が単身赴任になってから、うちは機能不全家族になってしまった。それは高校卒業まで続いた。父親のいない家庭と言うより、居心地の悪い家庭であった。我慢させない躾と、何を言うにも命令口調でしかなかった父親。私の気持ちを聞いてくれたことはなかった。
母親はパートでいつも帰りが遅く、夕食代として台所のテーブルの上にいつも五百円が置いてあった。(妹と二人で千円)

高校卒業までお弁当だったのであるが、手抜き弁当と当時は思っていた。残り飯に海苔が一枚かけてあるだけ。おかず入れには、薩摩揚げ一枚かお湯で温めるチキンハンバーグが定番であった。恥ずかしくて、いつも弁当箱の蓋で隠して食べていた。

そんな育ちである故に、もともと発達障害と強迫性障害を抱えていた私は、社会に出て大きな挫折を経験することとなる。
まぁあ、育ちもヤクザになるか引きこもりになるかの育ちの悪さだったから、人とのコミュニケーションの仕方を家庭生活で学ぶことが出来ないまま大人になってしまったわけである。

私の著書『私の居場所はいつもギャンブル場だった』は、日本文芸社から出版されている。

私は四十になった時、ギャンブル生活を引退しようと決意し天台宗で得度した。

この本は悪漢小説(ピカレスクロマン)みたいな面白さもあるが、読み進むにつれてイヤになってくると思う。

ギャンブルを辞ようと決心し得度したのではあるが。。。
「新しい人生を歩むからには、何らかのけじめをつけなくてはならない」「けじめをつける」を辞書で調べると、「過失や非難に対して、明白なかたちで責任をとる」とある。
得度することで、今までの行いの責任を取るということか?

得度するということは、それまでの生き方を全否定することだと思う。
ところが、此の本を読むと、私は自分の生き方に疑問を持っていない。
「私も若いときは万引きをしたり……」というワル自慢ほどイヤミなものはないが、
それでも悪いことをしたという自覚はある。
しかし、この本にはそれすら感じられない。

新越谷駅で喧嘩をして警察に捕まるエピソードも、
「俺の周りには誰も助けてくれる人はいない」
「自分独りで生きていかなきゃ
、どうしようもないんだ」
「これからは自分のことは、すべて自分で解決しよう」
このように悟り、全く反省が無い。
私はこの生き方で生きてきたと思う。
「プライドが強くなけりゃ、博徒のトップにはなれん。俺なんてギャンブル辞めたとしても、そのプライドだけは捨ててないから!?」と言ってるように、自分の生き方、モットーに少しも疑問を持っていない。
だから「貧乏を抜け出すには誰にも頼らず、自分の力で抜け出すしかないんだよ!」と、江戸川乞食達を批判し嘲笑う。
だけど、みんなが私のような生き方をしたら、世の中滅茶苦茶になってしまう。
自分が傷つけた人のことを考えていないから、そんなことが言えるのだろう。

自己美化するだけでなく、ギャンブラーの論理をも肯定している。
「博徒の世界では、男としての心意気を見せるとか、親分や一家のために身を捨てる覚悟を示すとか、そういうことが大事なんだよ。
戦国時代の武将みたいに?」
バブルでパンクした連中を非難してこう言う。
「たかが自分でこさえた借金じゃないか。ピンチかパンチか知らないが、自分が招いたピンチで自分のケツひとつふけないってのは情けねーよ。
俺だって死ぬか生きるかのピンチに立たされたことが幾度もあるんだよ。それが博徒というもんで、そういう時にこそ、博徒としての真価が問われるのさ」と、自信満々に記述した。

そのわりに、有名演歌歌手やAV女優との交際を語らずにはおれない。

昔はよかった、それに比べて今は日本はどうなる、と時勢を憂いてお説教をするのも、この手の自伝の特徴である。
「女遊びでもちゃんとルールがあったんだよ、
昭和の時代には。。。」

バブルの5年近くで、日本も、日本人もすっかり変わったと嘆く。
「それまでの日本人が持っていた勤勉さとか、
親を敬うとか、年寄りを大切にするとかいう基本的な価値観が全部崩れたんだ。」

社会貢献をさりげなく自慢するのも特徴。
ボランティアは黙ってするものだと芸能人を批判しながら、「私はこんなことをしている」と語ってるし、この本の末尾に「本書の印税は、その全額が那須町に寄付されます」と書いている。

ええっと思ったのが、闘病記の記述。
大病を患い、あと一年から三年だと宣告を受ける。
「その時もべつに死ぬのが怖いと思ったわけじゃないんだ。それまで散々、無茶して生きてきたし。。。博徒というのは、そういうもんだから?」
それだけ悟ったようなことを言いながら、必死でいくつかの病院をかけまわる。

そして、同級生の医者のつてで無事手術を受け、生き延びる。
なるほど、病気になるとお金がかかることがよくわかった。
でも、それだけの金をどうやって工面したのかと思う。

借金まみれのくせに、どうして治療ができたのか。

彼は「ただ俺はこの手術に際して、自分は何も不正なことはやっていないと思ってる。」と言っている。

得度式を受けたと言っても僧籍は取らなかったと書いている。
天台宗ではそんなに簡単に得度できるものなのだろうかと、読者は疑問に思われる事だろう。

兎に角、お金を出してまで読む価値のないくだらない本だと思います。


大好評につき、最後に替え歌やります!
曲は【昭和枯れすすき】です。
伸ばすところはビブラートを効かせて歌って下さいね!』


《江戸川枯れすすき》
(作詞□シロヤギ)


貧しさに負けた~
いえ 江戸川に負けた~
闇金に追われた~
いっそきれいに死のうか~

命を張って 賭けたから~
未練などないわ~

華さえも咲かぬ~
江戸川枯れすすき~


八百られて耐えた~

そう 傷つきながら~

淋しさをかみしめ~
夢を持とうと信じた~

幸せなんて 望まぬが~
人並みでいたい~

流れ星見つめ~
江戸川枯れすすき~

江戸川を捨てろ~
なぜ こんなに好きよ~

博打辞めて生きると~
あの日決めたじゃないのよ~

うねりと風に 裏切られ~
こみあげる涙~

侘びしさに耐える~
江戸川枯れすすき~

【最近のシロヤギは。。。】
(今は過去のギャンブル関連の新聞や出走表を処分しながら、昭和枯れすすきの貧しさにも世間にも負けたじゃないですけど、日々反省をし「なんとか今月分の携帯代が払えますように!」と、毎日御祈りをしております。
本日も依存性から脱却する為にヤラないというより、本当にいろいろな支払いがあってヤリたくてもヤレないというのが正直なところです。なので作るブログはギャンブルになってしまいますが、今日も4時からブログを書き続けております。一日中ブログを書いて時間をつぶすことによって、気を紛らそうと思います。
お金に余裕があったなら、毎年の如く今日の競馬も競艇もやっていたことでしょう?もう、ギャンブルの無い所に移住したらいいってことか?
沖縄なら大丈夫かな?でも那須にいた時も、まだスマホを契約をしていなかったにもかかわらず「友愛の森」のWi-Fiを使って江戸川やってたからなぁ?
いっそのこと、日本から脱出して外国に移住するしかないのかなぁ?
病院に入院した方がはやいかぁ。。)