1965年に就航した国産旅客機のYS-11。
180機あまりが生産されたなかで、唯一無二の経歴を持つ機体があります。
その輝かしい機体は
JA8717
日本の航空史上唯一、そして燦然と輝く記録を残した機体です。

今回から数回に分けて、、
この機体の生涯を紹介していきます。

同機は1969年2月に日本国内航空(JDA)向けに製造されました。
しかし、同機は誕生してすぐに異例の経歴をスタートさせます。
なんと、JDA向けのはずなのに、ロールアウト時、既に日本航空(JAL)の塗装をまとっていました。
JALは日本のキャリアながら、実はYS-11を発注したことや、保有したことはありません。
(子会社はある)

ではこの機体はなんなのか?
話は1960年代後半に行われた日韓航空協定の中で板付飛行場(現 福岡空港)と釜山を結ぶ航空路開設がきまる。
韓国側はフラッグキャリアの大韓航空(KAL)が、
日本側もフラッグキャリアのJALが就航することになる。
当初、JALは65年に受領した新鋭機のB727での就航を計画していたがKALは日本路線ということでの配慮なのか?YS-11での就航だった。
同じ路線でYS-11とB727では釣り合いが取れないと危惧したJALでは時折路線や機材の融通をしていたJDAと協議。
69年にJDAに引き渡されるYS-11のうち1機を運行乗務員ごと派遣してもらう、ウェットリースする事になる。
このリース機材に充てられたのがJA8717であった。
69年2月にJDAに引き渡されたのち、4月の福釜路線開設にあわせJALへリース。
機体は福岡空港と釜山を往復する日々を送る。
このリースによる運行は1年半におよび70年にリースバックされます。
このJA8717による福釜線は日本籍のYS-11による初めての定期国際線の運行となりました。
しかし、その後は日本籍YS-11による国際線就航はなく、同機は唯一、定期国際線に就航した機材となった。
また、YS-11を運行しなかったJALのフルカラーをまとった機材としても唯一の存在となった。

しかし、JDAにリースバックされた後も同機はオンリーワンの存在となるのでした。。


今回の模型は、、
メーカー:JCWings
スケール:1/200
機種:YS-11A-200
でした。。

なかなかお目にかからない、かなり珍しいモデルで、半年ほど前に見かけて、即買いした不審者でした。。