久しぶりのYSねた。。

全機で180機あまりが製造されたYS-11。
実は思いの外多くの海外キャリアで採用されました。
有名処ではアメリカのピードモントや大韓航空がありましょうか、、
なんと直接新造機を導入したキャリアだけでも20社以上あるんです。

しかし、
その全てでうまく運用された訳ではありません。YS-11は日本の航空事情を元に設計されたため、海外のキャリアでは扱いにくい部分もあり、早期に運行を取り止められてしまう事もありました。
今回はそんなYS-11を早々に見切りをつけたキャリア、、
ハワイアン航空でのYS-11のお話。

メーカーとしての実績がない日本航空機製造(日航製)は製品であるYS-11を売り込むために積極的にデモフライトを実施。
その結果、近距離多頻度運行を行うキャリアから関心を寄せられます。
この中で、アメリカ本土でのフィーダー路線を多くもつピードモント航空と島嶼路線を多く抱えるハワイアン航空からある程度の受注を得ることに成功します。
こうして1966年に輸出先、
ハワイアン航空への引き渡しが始まります。
リースでの導入でした。
ハワイの島々を結ぶ路線へ投入され、そのSTOL性能をいかんなく発揮、、
      する筈でした。。
当時のハワイアン航空では主力はレシプロ機でYS-11のようなターボプロップ機はヴィッカーズ社のバイカウントが2機あるだけでした。
尾翼にはレシプロとは違うことを示すためか、JET POWERとかかれていました。
ところが、、YS-11が引き渡されたとき、、
既にバイカウントは姿を消していました。
運行期間はたったの1年程度でした。

(当時のハワイアン航空は短期のリースが割りと多かったようです)
1966年にハワイアン航空へ3機のYS-11が引き渡され、運行を開始するも、直ぐに問題が発生します。
エンジンが非力なことはもちろん、旅客からの評判がよくなかった。。
飛行中の騒音が響くことや床下の油圧ポンプからの振動、日本人サイズのドアの高さなど、、またレザーや布を多用したソスト・トリムを採用した客室は特に評判がよろしくなかったようです。
引き渡された3機は1年後にはリースバックされる始末。。
ハワイアン航空への売り込みは失敗に終わります。
しかし、ここでの失敗がYS-11の改良へと繋がっていきます。
特に不評だった内装はレザーからプラスチックへ変更し、日除けのカーテンを現在主流のシェードタイプを採用したハード・トリムへ変更し、清潔感を感じられるようにした。
この他、後部貨物室と客室の間仕切りにドアを設置(それまではカーテン)、油圧ポンプを胴体床下から主翼付け根のフェアリング内へ、搭乗口も拡大された。
YS-11Aへのブラッシュアップでは離陸重量の増加に目が行きがちですが、実にいろんな部分で変更、改良されたのでした。

なぉ、ハワイアン航空からリースバックされたYS-11は全日本空輸へ引き渡されました。


今回の模型は
メーカー:Gemini (Gemini 200)
スケール:1/200
キャリア:ハワイアン航空
でした。。

たまたまヤフオクで出品されてるのを見かけて、今回取り上げました。。