もう10年以上も前になるのか、、、
2013年にカナダのバンクーバーを訪れた不審者。。そこで思いもよらない機材に遭遇しました。。
なんと!コンベアです!
とっくにメーカーが(事実上)消滅して久しいところのヒコーキがまだ飛んでた!
とはいえ、こちらは改造機。
燃料手配と高出力化のためターボプロップへ換装したCV-580というモデルです。
ベースとなったのはコンベア240、340、440です。
日本でコンベアというと悪名高いスピード狂のCV880が有名なところでしょうが、実は日本の航空会社は割りと古くからコンベアにはお世話になりました。
特に戦後に乱立状態になった地域航空会社で多く運行され、総勢で19機が運行されました。
(1950~60年代を考えれば少なくはない)
その中でちょっと不遇だった子が今回のネタ。
全日本空輸
         コンベア CV-440です。
導入は1959年、、日本ヘリコプター輸送と極東航空が合併して全日本空輸(ANA)となってまもなくの頃でした。
この時のANAは重大な問題を抱えていました。
輸送力とサービス水準の向上。
当時の最大機材はDC-3で、同社の主力でもありましたが、日本航空のDC-6に大きく水を空けられる事態に、、そこで導入されたのが
CV-440でした。
しかしこのヒコーキの導入は少し変わった経緯でした。

まず、コンベア社にはANAからの発注履歴はありません。

また、ANAも最初からCV-440を導入する予定はありません。

そして、ANAに引き渡された同機もANA向けどころかエアライン向けに造られた機材ではなかった。

しかし同機は新造です。
一体どういうことなのか??
まずは当時のコンベアについて、、
実はコンベア社(正式にはコンソリデーテッド・ヴァルティー・エアクラフト社)は1953年に会社としては消滅しており、軍需企業のジェネラル・ダイナミックス(GD)に吸収され、コンベアは一部門として残されていた状態だった。
1950年代後半、コンベアブランドではどこかの狂信的な大富豪の強い要望でジェット機開発にのめり込んでいた。
一方でANAはというと、、
喫緊の課題であった諸問題の解決のためにとんでもない案を実行に移そうとしていた。
その案とは、、
JALで余ってる
      DC-4を借りよう!」
というもの、、、
なんとこの案、実現の一歩手前までいき、実際に訓練まで終えていたというから、ANAの本気度がうかがえる。。
直前に
「いやぃゃ、、ダメでしょ」
とJAL側から反故にされて敢えなく不成立に。。
(これ以後、なにかとANAとダグラスは相性がよくない)
そんな中で、、
日本の商社がGDから購入し、宙ぶらりんになっていたCV-440が2機、、アメリカに留め置かれていることを知る。

ANAは商社との間でリース契約を締結し晴れて新鋭機CV-440を導入したのでした。

なお、どういった経緯で商社(関谷産業?)がこの機材を購入していたのかはわかりませんが、当時を考えると注文流れ品を買わされた可能性も、、

CV-440はダグラスDC-4より足が速く、また与圧の性能もよく、
非常に高い評価を受けました、、
が!
CV-440の活躍は永くありませんでした。。
日本国内の急騰する航空需要にCV-440は直ぐに供給力不足に陥ります。
ANAがより大型のヴィッカーズ社バイカウントを導入すると、JALはCV-880を導入し国内線のジェット化に進み始める。
国内線のジェット化は国を巻き込んだ政策にもなりANAとJALのほか、地域航空会社の統合で誕生した日本国内航空が揃ってB727の導入へと進んでいく。
特にANAではJALや運輸省すら出し抜くウルトラCでB727の運行を開始、、
それと同時にCV-440は路線を失うことになった。
ANAから中日本航空へサブリースされるも軌道にのらず、短期でリースバック。
ANAでも投入先がなく1965年にANAから退役、、5年ほどという短い活躍だった。

ちなみに、、
ANAではCV-340から440へ改修したものもありました。
これらの機材はいずれも1960年から導入され翌年に改修されますが、こちらも短命で64年に退役、放出されてしまいました。

今回の模型は
メーカー:JCウィングス
スケール:1/200
でした。