2016年、、

ある目的で厚木基地に来た不審者。。

しかし目的のものは、うんともすんとも言わず、、

代わりに元気に飛び回っていたのが、、

入間を拠点にする航空自衛隊 飛行点検隊のYS-11FCだった。

厚木基地はアメリカ海軍の基地ではあるが、管制は海上自衛隊が行っているためかに空自のFCが飛んでくる。

何度か周回してILSやPAPIなどの検査を終えて

ビヨョョョ~ン

と独特な甲高い音を立てて基地へ戻っていく、、

点検終了の合図は

「ありがとうございましたぁ」

とお互いのお礼の交信です。

そんなわけで、、

今回の紹介は、、

航空自衛隊 YS-11FC
です。
160号機は3機が運用されたFCで唯一の新造機で形式変更されることなく運用された珍しい存在でした。
飛行点検隊を示す尾翼のチェッカー塗装はどの部隊の塗装より目立つ存在で、遠くを飛んでいてもわかる。
(そのための塗装ですからね)
3機のFCのうち、唯一の新造機と言うこともあり、他と仕様が異なる部分も多い。
特筆に値するのが、、
右翼付け根にあるAPU(補助動力装置)の存在。
他2機はもともと人員輸送機のYS-11P型からの転用であったため、APUの搭載方法が異なり、見た目上に大きな特徴だった。
また、転用機の151号と154号は除氷装置にヒーター式が採用されていたが、160号はブーツ式なのも目立つ特徴です。
また装備品も異なり、検査に用いる機器は160号のみドイツ製のものが搭載されていたそうです。

そんな160号機は1971年に引き渡され、たった1機で全国の航空基地の検査を行っていました。

航法施設の充実により検査の内容が多くなり、1機では厳しくなる。

そこで、P型2機がFCへ転用される。

カナダ製の検査機器を搭載され、92年に点検隊に編入された。

その中には空自に最初に引き渡された151号機があった。
この機体は色々と仕様の異なる機体だった。
初期製造機ゆえ、除氷装置はヒーター式。
160号機のような目立つAPUはない。
そして一番の特徴はドアの開き方だった。
多くのYS-11のドアがスライド式なのに対して初期型の同機は手前に開く観音開きです。
3機体制になったFCは飛行サイクルに余裕がでて更なる延命が見込まれていた。

しかし予想だにしない事が起きる。
2011年3月11日に発生した東日本大震災
これの情報収集や被害状況の確認のため百里基地のRF-4Eと共に飛び回り、機体の滞空時間をガリガリ削ることになる。
震災の後、2015年に151号機と同じくP型から改修された154号機が退役する。
154号や海自で退役したYS-11から部品が供出されたが、機体の滞空は着実に削られていった。
また、さらに予期せぬ事態が襲う。
2016年4月、
鹿屋航空基地の点検を行っていた飛行点検隊のU-125が墜落事故により喪失。
これにより、飛行スケジュールがタイトになってしまう。
2016年12月、
航空自衛隊は老朽化の著しいYS-11FCと事故により喪失したU-125の代替機として、セスナ社の小型機ビジネスジェット機サイテーション680A型をU-680Aとして導入する事を発表。
ついに退役のスケジュールが決定された。

2018年、、
入間基地で開かれた基地祭、、
そのオープニングを飾ったのは
退役を目前にした160号だった。

"非力なエンジン"

"重い動翼"

そんな評判をものともしないダイナミックな飛行を見せつけた。

これでもか!

と言わんばかりに暴れまわる160号。

(もちろん展示飛行)

しかし普段は見ることの無いアグレッシブな姿は大変鮮烈だった。

僚機のU-125と共にオープニングフライトを終えてスポットへ向かう、、

渾身の飛行を楽しんだギャラリーが、拍手で160号を迎えた。


この時、160号は退役を前に滞空時間ギリギリまで飛行点検に明け暮れて、残る151号は予備機として基地に残ることが多かった。

入間基地基地祭から1年足らず、、

2019年に160号退役。

残るは最古参の151号のみとなった。


2021年1月

3機目のU-680Aが入間基地に到着。

同年3月、

コロナ禍でイベントが軒並み中止されるなかでの151号退役。

RRダートエンジンを搭載した国内最後のYS-11の引退となった。



今回の模型はいずれも

全日空商事からリリースされた1/200スケールモデルです。